2020-01-01から1年間の記事一覧

48)外国人留学生の会話(6)余剰博士②

企業側は学生を採用するとき、大学院で博士号をとった学生を敬遠するという傾向が日本では見られる。今回の会話の参加者は韓国と中国の2人だけだが、日本と同じような傾向が見られるという。しかし会話両から、両国での事情が少し異なっているのがわかる。 …

47)外国人留学生の会話(6)余剰博士

ここ何年にもなるが、大学で博士号を取得した学生が、なかなか就職できないという現象が起こっている。大学院で専門を深めることによってその企業に貢献できるという反面、学歴が高すぎるため就職に向いていないという企業の捉え方もある。給料が高くなる、…

46)外国人の話し方の傾向②

39)に続いて、外国人留学生の話し方の傾向について、特に間違い(エラー)しやすい点について取り上げる。39)は話し方に重点が置かれたがここでは2つの文法的な間違い(エラー)の傾向について述べる。 動詞の形 動詞には基本形(例:書く)の他に、可能形(…

45)外国人留学生の会話(5)自分らしさの仕事選びの基準③

「自分らしさの基準で仕事選び」③をお送りする。ここでは「自分らしさ」とはどういうことなのかという考察が続く ・・・・・・・・・ s:私はまだ、私はまだ「自分らしさ」について考えたこともないし、「自分らしさ」の意味がよくわかりません。 私の経験な…

44)外国人留学生の会話(5)自分らしさの仕事選びの基準②

外国人留学生の会話(5)自分らしさの仕事選びの基準②をお送りする。 前回はの「どういう基準で仕事を選ぶか」のディスカッションでは、その仕事が好きか否かなどの個人的な基準が話されていたが、今回はやや広い観点が話題になっている。その仕事が社会に貢献…

43)外国人留学生の会話(5)自分らしさの仕事選びの基準

外国人留学生の会話(5)として、「自分らしさの基準で仕事選び」を取り上げる。 社会人となってまずやらねばならないことは、仕事探しである。自分はどういう基準で仕事を選ぶのか、自分に合う仕事か、給料はどうか、働く環境はどうか、その仕事は社会的に意…

42)外国人留学生の会話(4)結婚③

結婚賛成派と反対派の議論は続く。皆さんそれぞれ自分の経験に基づいて、それなりの生き方を見出しているようだ。 ・・・・・・・・・ S:ほかに何か結婚観について、自分にとって結婚が何の意味があるか話したい人がいれば、ご意見聞きたいんですが。 B:あ…

41)外国人留学生の会話(4)結婚②

「外国人留学生の会話(4)結婚」の②を続ける。結婚か独身か、どちらにメリットがあるかの議論が続く。 ・・・・・・・・・ M:みんなにとって、自由というのはどういうものですか。 もしかして、私の自由という概念と違っていて、その理由で結婚っていう、ま…

40)外国人留学生の会話(4)結婚

外国人留学生の会話のクライマックスとして「結婚」を取り上げる。若い学生たちにとっては最大の関心事であるので、活発な意見が出ている。学生の国籍は、韓国、中国、台湾、ドイツ、アメリカ、イギリスなどである。 結婚反対派と結婚賛成派がいて、反対派は…

39)外国人の話し方の傾向

外国人留学生の会話として、29)~38)で「自分の呼び方」「内向き日本人」「早期英語教育」を取り上げた。 会話に参加した学生たちは日本語力上級レベルの人達で、自分の言いたいことをかなりの程度で述べることができる。 しかし、彼らが会話で発言したまま…

38)外国人留学生の会話(3)早期英語③

今回は「早期英語教育」の第3弾。ディスカッションの焦点は「早期英語教育」はどうあるべきかが中心になっている。Jは両親が日本人でアメリカに長期滞在している学生である。 ・・・・・・・・・ C:Sさん S:僕がまず話したいのは、小学校の早期英語教育の…

37)外国人留学生の会話(3)早期英語教育②

前回に続いて、語学の学習を開始するには何歳ぐらいが適切かがディスカッションの中心主題になっている。父親の都合で長期にアメリカに滞在している日本人(J)の学習過程が、話題になっている。早期外国語教育が子供に与える影響、教え方についてなどが議論…

36)外国人留学生の会話(3)早期英語教育

前会話「内向き日本人」と同じく、中国、韓国の留学生が中心になっている。中に一人(J)、両親が日本人だが、アメリカ滞在が長い学生が混じっている。 この会話は英語早期ブームの最初のころに録音したもので、データが少し古いきらいがある。日本では2020年…

35)外国語が好きになるということ

私は、外国語が好きになるということは、その国の人が好きになるということだと思っている。その外国語が好きだということはその国の人達が好きだということではないだろうか。 こう思うに至ったのには二つのことが関係している。 一つは友人の経験である。 …

34)外国人留学生の会話(2)内向きの日本人③

今回は、「日本人は国際交流に消極的か」という問題がディスカッションの中心になる。資料は前回同様新聞のコラムによるものである。 彼らの多くは、日本人は欧米系の人とは積極的に英語で話そうとするが、アジアの人々に対してはそうではないという姿を見て…

33)外国人留学生の会話(2)内向きの日本人②

外国人留学生の日本人観察は続く。日本人は外国人との付き合いを本当に嫌がっているのかどうか、申すこそ彼らの意見を聞いてみてください。 ・・・・・・・・・・・・ 司会Y:Jさん。 J:僕は日本人は友達を作る意識がないわけではないと思います。 日本人で…

32)外国人留学生の会話(2)内向きの日本人

外国人留学生の会話(2)として、「内向きの日本人」を3回に分けて届ける。これは新聞で取り上げられた「内向き目立つ日本」というコラムを読んでからのディスカッションである。日本人を内向きととらえているか否かについて、留学生の日常持つ考えや意見…

31)外国人留学生の会話(1)自分の呼び方③

前回は「ぼく」の使い方に焦点が当たっていた。「おれ」との違い、「わたし」との違い、同じ人間同士でも、親しくなってくると、「わたし」が「ぼく」になったり、「おれ」になったりする。 今回は、「自分」という呼び方について、また、「あたし」「わたく…

30)外国人留学生の会話(1)自分の呼び方②

前回は「自分の呼び方」として「わし」「おれ」が中心に話し合われた。今回は「自分の呼び方(2)」として「わたし」、そして、「ぼく」の使い方が会話の中心になっている。 (Rは女子であるが、他は男子学生である。) 司会者D:場合(→状況)によって、「わ…

29)外国人留学生の会話(1)自分の呼び方

司会者T:日本人の自分の呼び方はややこしいようです。 お相撲さんが若いのに「わし」、女子学生が「おれ」と言うこともあるようですが。 T:ドラマとかを見るときはやっぱり、女子学生が「おれ」という言い方が出てくると思いますが。 皆さん、聞いたことが…

28)小学校の前に住んでいる

ブログ20)~27)では茨城時代の、特に筑波大学での日本語教科書の作成や、当時の日本語教育について描写した。年代的には1980年半ばから2003年あたりのことである。自身にとっては大学院を修了し、筑波大学の講師から助教授になった期間である。 日本語教育…

27)授業を見せていただく(4)

筑波大学でU先生の授業を参観する機会を得た。U先生は会話教育だけでなくコースデザインなど教授法の専門家で、シンガポール大学でも独自の教科書作りに関わっておられた。 U先生の授業はSFJ第9課の会話練習であった。学生はいろいろの国から10人ほどであった…

26)会話力と文法力を育てる(2)

コミュニカティブアプローチというのは、言語伝達能力を養成することを目標として、1970年初頭に誕生したアプローチである。 コミュニカティブアプローチの基本原則は、次のようである。 1)クラス活動では、今「何を」しているかを知っていなければならな…

25)会話力と文法力を育てる

岡崎先生(元筑波大学教授)は、彼も信念の人であるから、会話教育をしながら、会話を主体にしながら、文法力が付く方法は絶対あるとおっしゃっていた。 そして、そのとき、例えば、会話のやりとりの中で、 「きのうどこへ行ったの」 「東京」 「だれと行っ…

24)教科書(SFJ)作り(3)

前回は、筑波の先生方で、班、つまり、会話班、文法班、語彙班、タスク班というものが作られ、それぞれが自分のやりたい班に入ることになったというところまでお話した。 今回は実際的にどのように教科書が作られていったかをお話ししたい。 まず、会話班が…

23)教科書(SFJ)作り(2)

筑波の留学生センターとして、独自の教科書が持ちたいという気持ちが高まりつつあった最中に、では、皆それぞれはどんな教科書を作りたいかを、率直に意見を出し合おうという会合が計画された。 一泊泊まりで、筑波山の裏の研修センターに筑波の留学生センタ…

22)教科書(SFJ)作り

1985年ごろの筑波大学は、留学生センターができたところで、教科書も『新日本語の基礎』の会話の部分を筑波大学向けにアレンジして使用していた。 筑波大学留学生センターとして、独自の教科書を作りたいという気持ちが、専任、非常勤両方の先生方の中に強く…

21)大学院の授業

筑波大学大学院の入学式はちょうど息子の中学の入学式と重なり、欠席せざるを得なかった。当時の私にとっては息子の入学式のほうが大切であった。 地域研究研究科には日本語教育養成講座があり、日本語コースの学生はそれを受講することになった。 授業は、…

20)大学院受験

1983年3月、夫の転勤に伴って、名古屋を離れることになった。非常勤講師でお世話になった、いくつかの日本語教育機関をすべて辞し、茨城県に移り住んだ。 非常に寂しかった思いと、また、新天地へ向けての嬉しさのようなものの入り混じった、複雑な気持ちだ…

19)非常勤講師のあり方について

私は名古屋に13年滞在し、そのほとんどの部分を非常勤日本語講師として過ごした。私立大学、国立大学、AOTSなどにお世話になったが、非常勤講師という立場について考える期間でもあった。 時代はどんどん変わり、非常勤講師のあり方も変化してきていると思う…