270)中西良太さんの人生のとらえ方

 中西良太さんは中堅の俳優である。兵庫県西脇市出身、今年で70歳古希を迎えた。「十津川警部シリーズ」や「特命刑事」などの刑事ものや、数多くのテレビドラマ、NHKの大河作品にも出演している。映画監督もやったことがあるという。

 

         

 

「その1 渡瀬さんとの交友」

中西良太さんは、俳優の渡瀬恒彦(1944年72歳物故)と長年親交があった。

 

           

 

 渡瀬さん(日活俳優、渡哲也の弟、テレビの「十津川警部シリーズ」などで主役を務める)は中西さんの先輩で、はじめて喫茶店で会った時には、先輩でありながら立ち上がって笑顔で握手をしてくれた。渡瀬さんは静かで、侍のような人であった。彼を表すなら「太・重・静」の3字に尽きるという。

 

    

 

 その後、「紅茶を飲みませんか?」と楽屋に誘われた時も、特に話をするわけではない。中西さんは渡瀬さんが先輩なのでかなり緊張したが、渡瀬さんにとっては何もしゃべらない時間が良かったようだ。それ以後も何度も楽屋に行くが、何もしゃべらないまま時間を過ごすことが多かった。

 

      



 渡瀬さんのお宅に招かれたことがあった。テーブルの上や、ソファの上、トイレにまで台本が、それも開かれた状態で置いてある。中西さんは、渡瀬さんが、いつも台本を見たり読んだりする勉強家であり、責任感のある、きちんとした性格の人であることを知る。 

 

 

「その2 中西さんの人生観」

 中西さんは、人生を楽しみ、何かをやってやろうという前向きの人だが、彼の人生に対する考え方を聞いて、参考になったことがある。

 グラフに使われる線に放物線というものがある。代表的には左右が低く、真ん中あたりで盛り上がる、いわゆる山型の線である。人生はよく放物線にたとえられる。赤ん坊として生まれ、どんどん成長して、少年期、思春期、青春期を経て、大人になっていく。そして、人は自分の力で充実した生活を送るようになる。

         

              

 つまり、人は、ゼロだった赤ん坊の時代から、成長をして、少しずつ充実した、豊かな人生の真っただ中に入っていく。それが放物線の頂点に当たる部分である。

30~50歳頃になると、人は社会的にも家庭的にも充実度が最高潮になり、定年を迎えるころから人生はだんだん下り坂に向かう。

 

 しかし、中西さんは人の人生を逆にとらえる。彼は、真ん中で山型になる放物線ではなく、最初は髙いところから始まり、真ん中で低くなり、また上に上がっていくという放物線を思い描く。

               

 

 赤ん坊として生まれた時は、誰でも親や親族から注目され、可愛がられる。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と、親や親族に庇護された毎日を送り、特に苦労はない。しかし、30~50歳となると、仕事でも家庭でもいろいろな責任を負わされ、問題を抱え、苦悩することも多い。

 そして、それを乗り切り定年頃になると、仕事上も経済的にも自由を得ることができ、自分のやりたいことをやれる時期になって行く。誰の目も気にすることなく、自分のやりたいことを、自分の責任で模索することができる。スポーツも、趣味も、研究も、旅行もやる気にさえなればどんどんできるようになる。

 そうした自由と余裕が得られるのが、ちょうど老年期に差しかかるころであり、放物線で言えば、一旦下がった線がどんどん上がっていく時期である。

 

      

 


 もちろん今まで述べたことは一般論で、中にはそのように上り坂を登れない人達もたくさんいる。しかし、総じて言うなら、老年期は時間的にも経済的にも比較的ゆるやかに自由を楽しめる時期である。

 老後こそ、「自分がいいな!」と思う時間を過ごしたい。「自分がいいな!」と思う時間を大切にしたい。色々な意見があるだろうが、中西さんはそう考えている。

 

 中西さんの、人生を逆放物線としてとらえる考え方は、とてもおもしろいと思う。

「そうか、私達は一生懸命働き、一生懸命子育てをした30~50歳台を踏み台として、また舞い上がると考えればいいのだ。老年期を、飛躍とまでは言えなくても、飛翔の年代と考えればいいのだ。老年期は、どんどん上に上昇していく時代なのだ。

 中西さんのこのとらえ方は、どこか私の心を元気づけてくれたように思う。