267)世界に目を向ける

         

 国際医療ボランティア桑山紀彦(のりひこ)氏。1963年岐阜県高山市生まれ。

精神科医 60歳。

 学生時代(山形大学)に各地を放浪し、卒業後に休暇を利用して、フィリピンなど世界各地で医療ボランティアを始める。それ以来35年ボランティアを続けている。

 

       

 

 中でもパレスチナガザ地区には何度も訪れ、子供達の心のケアに当たってきた。現在は神奈川県で「蛯名(えびな) 心のクリニック」を開業している。

ガザ地区の現状についてお伺いしたことを、その一部ではあるが、ご報告する。

(インタビューはNHKアナウンサー)

 

         

 

アナ:今注目を浴びているガザ地区は、人口220万くらい、相当過密な感じですよね。広さは種子島と同じくらい?

桑山:おっしゃる通りです。世界で一番人口密度の高い地区ですね。しかも、ぐるり3方を壁に囲まれていて、海の方向にもバリケードがあるんで、完全に出られない状態で、そこに存在しているのがガザです。

 

       

 

ア:それじゃ、まるで監獄のよう・・・。

桑:世界一大きい天井のない監獄。

ア:いつも映像に出てくるのは、ガレキと化した通りだったりするんですが、農地とかそういうところはあるんですか?

桑:ある程度農地もあります。町としてはガザ、ナラなどの3つが大きいんですけど、3つの街をつなぐところにはある程度の農地が広がり、農業して暮らしていたりすることもあります。

ア:多くはどうやって生計を立てているんですか。

桑:人口の約7割が密漁していると言われています。また、仕事がないと言われています。でも、何とか見つけた仕事を細々と分け合いながら、必死に仕事しているのがガザの状況です。

ア:ガザ地区とのお付き合いはかなり古くからのようですね。

桑:2003年からになります。もう20年以上やらせていただいて、心のケアを続けて20年です。

ア:はじめて行ったときの印象はどうでしたか?

桑:こんな場所が世界にあるのかと、びっくりしました。それは、生まれてから一回も外に出たことがないという環境、しかも限られたチャンスの中で生きざるを得ないので、自分がガザに生まれたら絶望するだろうなと思うぐらいの、良くない環境だったんです。

 

      

 

 ところが付き合ってみると、人としての優しさや思いやりや、そういったものが人一倍強いもので、この劣悪な環境の中で、人間はなぜこんなに優しくなれるのかと思いました。

 ガザにおいても僕を家族と呼んでくれる家族が3家族いるんですが、行くと料理がグワーッと出てくるんですよ。で、申し訳ないなと思いながら食べますよね。僕日本人だから、いくら払えばいいかなと思うじゃないですか。思わずお金なんか見せようもんなら、笑われますよ。

 

      

 

「お前、何を考えてるんだ、お金なんか要るわけないだろ? お前は僕の家族なんだ。家族が戻ってきたらもてなすのは当たり前だ。」

 そうやって20年付き合ってきました。はい、それがガザですね。

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桑:その中の男の子に絵を描いてもらったことがあるんです。その子が描いた絵は色がないんですね。色鉛筆はあるのに。僕が「どうして色がないのか?」と聞くと、その男の子は、「空爆にさらされている僕の町に色なんてあるか!」と言いました。

それ以来彼との付き合いが始まって、14年になります。

 

        

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桑:戦争を見ていると、正義の反対は悪ではなく、もう一つの正義になるんだって、よく思うんです。正義の反対(つまり、悪)があれば、皆で「それはだめだ」と言えるじゃないですか。でも、正義の反対はもう一つの正義なので、そちらにも正義がある。

ガザにしても、ガザの正義とイスラエル側の正義がつばぜり合いしているんですね。どちらかがたぶん悪であれば、世論は動くんだと思うんです。だけど、そうではなく、人のエゴによって、正義と正義がつばぜり合いしているので、紛争が終わらない。だとしたら、自分が正しいと思うのはよく分かりますけど、相手が訴えている正義というものに耳を受向けて、「あれ、どういうこと言ってるのか」とか「自分と同じようなことを言ってるのかもしれない」とか、そんな理解が得られるのかもしれないと思うんです。

 

      

 

 耳を貸さないから、向こうの正義が嫌でしょうがないけど、ちょっと耳を貸した時に、理解し合えたりすることが多いなあと思うんです。

相手の正義を否定するのではなく、少し整理をして余裕を持てたら、人類って変われるんじゃないかと思いながら、この活動を続けています。

ア:ロシアもウクライナもどっちも同じ、似たもの同士だという感じがしませんか。

桑:ロシアにしてみると、「兄弟として育ってきたお前が行こうとしているのか?」

ロシアから見るとこれ以上付き合っていると、自分も危ない。でも、似たもの同士でもあり、僕が驚いたのは、ウクライナの人はほとんどロシア語を使っていました。

ア:ウクライナ語ではなく?

桑:それ習慣だと思うんです。それほど近い存在だと思うんです。だったら、仲良くできるきっかけってあるだろうと思うんです。

ア:このウクライナの戦争というか紛争をどう思っていらっしゃいますか。

桑:ガザからイスラエルに入る道があるんです。以前はそこを通れるパレスチナ人は10人ぐらでした。でもこの数年間は、パスカードを持ったパレスチナ人は、ポンとタッチするだけで入れたんのです。

そして、イスラエルで仕事して、夕方には帰って来られたです。

 「あ、良くなってきている。パレスチナイスラエル人はこのまま行ったらいいかもと思いながら2年過ごしていたんですよ。それをあるゲリラの人々が攻撃してしまったんです。自分達が忘れ去られてしまうと不安だったりで・・・。

 攻撃されたほうのイスラエルもびっくりしたと思いますよ。その怒りが今も続いているんだと思うんです。

 やろうと思えばやれた。前のパレスチナイスラエルの関係を思い出せば、やれると思っているので、今はある人々とやられた側のイスラエルがカッカとなっていると思いますので、少し落ち着いた時に、似たもの同士なのだから、分かり合える時が必ず来ると、私は思っているんですが。 

          

        

 

 対談をご紹介するのはここまでです。現地でボランティアを続けておられる方だけに、報道とは違った現場の人達の姿が見えてきます。パレスチナ人とイスラエル人が理解し合い、共生し合っていく方向で事態が解決されることを祈っています。