214)「鎌倉殿の13人」の義時と小栗旬

 もう新しい大河ドラマ「どうする家康」が始まってしまった。皆さんは前回の「鎌倉殿の13人」をご覧になっただろうか? 今回は、遅まきながら、「鎌倉殿の13人」についての雑感である。

 

          

 

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の半ばが過ぎたころ、作者の三谷幸喜がテレビで次のようなことを言った。

         

     


   「(北条)義時がどのように変わっていくか、善人から人殺しをも辞さない悪人にどう変わっていくかを、じっくり見てほしい」 

 

 政権の混乱を避けたい北条義時は、長年の友である梶原景時の弾劾、比企一族の討伐、頼家の暗殺に関与する。また、ドラマ終盤では、やはり、長年の友である畠山重忠和田義盛を亡き者にし、父の時政も追放する。

 

      

          北条義時を演じる俳優小栗旬さんは、『文藝春秋2023年新年特大号』「鎌倉殿の暗黒面を語る」で、次のように語っている。

 

「義時が〝黒義時“になったのは、(父親の)北条時政を追放し、事実上のトップとなってからです。黒地染の直垂にそでを通したのは今年五月頃だったと記憶しています。「とうとうこれを着るのかぁ」と、感慨深い気持ちになりました。」

 

         

 

「実は、僕の衣装が暗くなっていくほど、息子の北条泰時の衣装が明るくなっていったんです。」

 

「”悪役“への切り替えは意識しないようにしました。義時の身のまわりで何が起こるのか、史実を知ってはいても、その出来事に備えて芝居を「設計」することはしないでおこうと決めました。」

        

 三谷さんの、「義時がどう変わっていくかを、じっくり見てほしい」というのを聞く2、3回前から、小栗旬の演じ方が、今までとかなり変わってきていた。何か暗い感じで、肩越しに人をにらみつけたり、低い「どら声」で言葉を発する場面が多くなっていた。前半の、人をうまくまとめ上げていく、明るい笑顔の義時ではなくなってきていた。

 

「ああ、そうか、善人から悪人に変わっていく義時を、小栗旬さんは演じようとしているのだ」ということが分かった。

 

 しかし、それは「えらい変わりよう」であった。

          

 前半では小栗旬の、あの、恥じらったような、優しさというか、慈しさを含んだ笑顔が画面を包んでいたのに、笑顔は一切なく、いつも下を向いて、むっつり、濁った声でぼそぼそと語る義時は、まるで別人である。そして、急な変わりようである。

これが三谷幸喜さんが言っていた、じっくり見てほしい義時の「変化」なのだろうか? 

 

 私には、鎌倉を守ろうとするために、悪人になるのも辞さない、そのために正義に目をつぶる義時には見えなかった。むしろ、全く別人の、陰気で凝り固まっただけの人間にしか見えなかった。

小栗旬さんは、善人から悪人への、「変化」の演技に失敗している、私はそう感じた。

 

         


 人からどのように批判されようと、北条家のために情け無用の「義時」を心がけたのであれば、もう少しやりようがあるのではないかと思った。

暗くて、陰気で、ぼそぼそ声で変化を表そうとしているのは分かるが、肝心の内から滲み出るような「心のお懊悩(おうのう)、」「苦しみ」、「(地獄からの)叫び」のようなものが画面からは感じられなかった。

 自分が悪者になって、どんなことをしてでも鎌倉滅亡を防ぐ決心をしたのであれば、ただ声を低め、ドラ声を出し、陰気に内にこもるだけでは伝わらない。悪者にならなければならない義時の複雑な気持ちが見ている者にもじわじわと伝わるように演じるべきだ。

 残念ながら、小栗旬には、鎌倉幕府の執権として鎌倉を守り抜くという、上に立つ者の深み、味わいがない。

 

 小栗旬にはクランクアップの前日、三谷さんから、「もう完璧な義時だったから、安心して明日を迎えてください」とのメールが来たという。

ドラマの最終回はさすがに良かった。尼将軍政子との絡み合いは、姉弟の愛しさ、悲しさが出ていて、感動的であった。小栗旬も正直な演技をしていた。

 

     

 

 私は、小栗旬の、善人から悪人に変化する、演技のつたなさを残念に思う。前半では、皆をまとめていこうという人柄の良い、善意で、陽気な「義時」が出せていたが、心を鬼にしなければならない、「大将」としての悩みと苦しみ、そして、自分の使命を貫こうとする決意の強さ・悲しさが、小栗旬には出せていなかった。

 

 私の見方が一方的なのか、厳しすぎるのか分からないが、小栗旬が大俳優になるためには、今一歩の人間洞察、人生観察、演技力練磨が必要になると思う。