213)日本人とやりもらい

  2023年はじめてのブログです。今年もよろしくお願いいたします。

  今回のタイトルは「日本人とやりもらい」です。よろしくどうぞ。

                             

 どちらかというと、人に何かを差し上げるのが好きなほうである。 

しかし、しばしば、差し上げるべきかどうか、いつ差し上げるべきかなどに迷ってしまう。

また、逆に、何かをいただいた時、お返しをすべきかどうか、何をお返しすべきかに迷ってしまう。      

        

 2軒隣のTさんが家を建て替えることになった。去年6月に工事が始まり、11月ごろに完成という予定である。ご家族はその間、隣県のご実家のほうに滞在される。

 6月の初めにご夫婦が挨拶に来られた。6月から工事に入るので、騒音その他ご迷惑をおかけしますと言って、長崎カステラの包みを置いていかれた。立派な包みである。

カステラは、向こう三軒両隣、また裏の家々にも配られたようだ。

        

 そして、5か月がたった。

 新しい家が建ち、外構が整えられ、芝生張りや垣根作りなどが始まった。

 

        

外構が始まると、家の中に住むことができるので、Tさんの家族も戻って来始める。

 

        

 私はずっと、いただいたカステラのことが頭に引っかかっていた。Tさん家の両隣は解体の時などは、かなりの騒音に悩まされたらしい。一軒置いた我が家は、うるさい時もあったが、音は一時的なもので、それほど悩まされることはなかった。

 一軒の家を解体して家を建て替える。そして、新築の家に戻ってくる。それはめでたいことである。お祝いしなくてもいいのかしらと私は考え始めた。

 お隣さんにでも声をかけて、少額でもいいから集めて、何かをお送りしてはと考えた。しかし、特に解体時の騒音に悩まされていた何軒かの家に、声をかけるのがためらわれた。

 

 何日か迷っているある日、T家では門扉のペンキ塗りの作業に入っていた。家族の人も出たり入ったりしている。

       

 

 我が団地の、歩いてすぐのところに小さな食品店がある。ちょっと気の利いた食品を置いていて、人気の店である。私はそこでヨーグルト大びん(おいしい、本当においしい人気のヨーグルト)と、大きい、たぶん女性なら1つで昼ご飯は足りるという横浜肉まん、そして、銘菓店の「わらび餅」を買った。新築祝いという大げさなものにはしたくなかった。バタバタしているT家の、昼食の一助になればいいという程度の気持ちであった。

 旦那さんが庭にいたので、旦那さんに渡そうとした。旦那さんはすぐに奥さんを呼びに行った。奥さんに「おめでとうございます。これ、そこで買ったんだけど、昼食の足しにして」と言って、袋包みを渡した。(奥さんは我が家族より2回りほど若い。)

 

 私は気分が満たされていた。人に何かを差し上げることは、あげるほうもうれしいものである。特に、絶対においしいという、評判のヨーグルトと肉まんと、わらび餅であるから、きっと喜んでもらえたという気持ちで、私の気分は晴れやかであった。

 

 ところがである。

 

 1時間もしないであろうか。ピンポーンと我が家のチャイムが鳴った。

出てみると、Tさんの奥さんが門の前にいる。大きな紙包みを持っている。嫌な予感がした。

「さっきは有難うございました。これ・・・」と言って、T家の奥さんが紙包みを手渡そうとした。私はびっくりした。

「えーっ、こんなことしていただいたら困るんだけど・・・」

私は続けた。

「ホントに、昼ご飯に食べてもらえたらという気持ちだけだったんだけど・・・」

        

 

 若い奥さんは、「主人が渡してくれと言うの。私だけだったら、(お返し)しないんだけど」と言った。そうか、しまった! ご主人のいないときに渡すべきだった。

 

 結局、私は佃煮セットの大きな箱を受け取ったけれど、何かとても悲しかった。私は引っ越してきた人の、大変さを少しやわらげられたらとう気持ちだけだったのに、相手は、立派な佃煮セットを持って来た。

   

 

 あれから1週間がたつ。佃煮セットは冷蔵庫の中で、開けられないまま眠っている。私は開ける勇気が出てこない。せっかくの私の心を踏みにじられたような気がして、佃煮セットの箱を見るたびに、落ち込んでしまう。

 

        

 物をあげたりもらったりすることは、本当に難しい。あげたほうは、あげたことで満足するかもしれないが、もらったほうはそこに恩義を感じてしまう。何か返さなければと思ってしまう。外国人はあげたりもらったりにあまりこだわらないようだから、日本人にその気持ちが強いのかもしれない。

 あ~、しかし、佃煮の賞味期限がだんだん迫ってくる。結局は有難くいただくことになるのだろうか。