142)田舎の思い出

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 父は中小企業を自ら起こし、一応は社長であったが、家を顧みる人ではなかった。私が生まれたときからずっと長屋住まいで、社長さんにしてはみすぼらし過ぎると言われながら、いくばくかのお金が入ったときも、決して家のために使わず、すべてを会社のために使ってきた。

 根は優しい人なので、出張で遠くへ行ったときには、子供のために、こけしや赤いサンゴのブローチなどを買ってきてくれた。

父は京都府の田舎に生まれ、その当時は長男である父の兄が跡を継いで農家を営んでいた。

 夏休みになると、父は京都に私達を連れて行ってくれた。あれはそうした楽しい夏休みの一日であった。

 

 父がある夏の日、突然、「お盆だから京都に行こう」と言い出した。母も子供達も父の言うなりに支度をして、ぞろぞろと出かけていった。もちろん車などないので、歩きと電車である。

 途中まで来たとき、父が「子供たちの服装がみすぼらしい」と言い出した。そのまま近くにあった用品店で、子供達それぞれが母に選んでもらった洋服に着替えたのを覚えている。

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 私は白い半袖の、簡単服のようなワンピースであった。出かける前に新しい洋服に着替えるのではなく、父の一言で、出先の知らない洋品店で服を買ってもらい着替えるというのが、なぜか強烈な記憶として残っている。小学校5、6年生ごろであったろうか。

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 田舎のおじさんの家は平屋だが、大きな家だった。広い畳部屋があって、父、母、長女、次女、三女、そして私の5人に、おじさん宅の祖母や奥さん、長男、次男などを入れても、長屋の自分の家とは比べられないかなりの広さがあった。

 おじさんは、庭でコッコッと鳴きながら走り回っていた鶏をとらまえて、すき焼きを作ってくれた。生きている鶏をさばくのであるから、あまり気持ちのいいものでないはずだが、私は鶏肉(かしわ)のおいしさだけを覚えていている。生臭さのない、新鮮な柔らかい肉であった。

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 食事後、長男が、ちょうど中学生ぐらいだったが、子供たちを散歩に連れて行ってくれた。ホタルがあちらこちらに光を放っていた。

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 長男は最後に庭にある井戸に案内してくれた。そして、冷たい井戸水をコップに入れて、砂糖を加え、皆に飲むように供してくれた。井戸水が冷たく、甘く、暑い夏の絶好の飲み物であった。

 ところが、なぜか私は「要らない」と言ってしまった。飲みたかったはずなのに、「要らない」と拒絶した。長男は困ってしまい、私が飲まなかったために、自分も飲むのをやめてしまった。

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 気の毒に、あのころの私の意地悪は何だったのだろう。

 思春期の始まりの自意識過剰と、ちょっとカッコいい長男を困らせてやろうというオマセな気持ちだったのだろうか。

と同時に、1人の女の子が飲まないために自分も飲まないという、田舎育ちの長男の、優しさというか、律義さを、彼の困った顔とともに思い出す。

 

 その長男は今では父親のあとを継いで、父の実家の立派な棟梁になっている。

 

 一泊だけの夏の思い出であるが、帰りには九条ネギや山芋や、そこら中にある野菜を、全部いただいて帰った。