143)いかの足

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 数日前、主人がビールを飲みながら、「子供のとき、こんなの食べたことある?」と聞いてきた。よく見ると、「いかの足」(ゲソ)であった。

 

 「いかの足」は、私の子供時代を象徴する食べ物でもあった。

 そのころの我が家は、父が中小企業を立ち上げてはいたが、会社の運営が火の車のようなところがあった。子供が多く、家も長屋から引っ越せなかった。

 

 私が10歳ぐらいのころであったろうか。そのときの楽しみは昼過ぎに来る紙芝居屋であった。おじさんが自転車に紙芝居をのせて、運んでくるのである。

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 紙芝居のはじめに、おじさんが何種類かの菓子を子供達に売っていた。お菓子を買わないと、紙芝居を見せてくれなかった。          

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 私と2つ上の姉は母からお小遣いを5円もらって、いつも「いかの足」(そのころはゲソという言葉は知らなかった)を買った。「いかの足は」5円(そのころのサラリーマンの月収は2万円程度)で、私と姉はちょうど手のひら大の「いかの足」を、足5本ずつに分けて食べた。

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 「いかの足」は醤油と砂糖で甘辛く煮てあって、とてもおいしかったのを覚えている。姉が優しい人だったのか、2等分してどちらが大きいかということでケンカしたことはなかった。

 おじさんが売るお菓子には水飴もあって、別の子供達は割りばしを使ってぐるぐる回しにして、透明だった水飴が白くなるのを楽しんでいた。 

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 紙芝居の出し物で覚えているのは、「コケカキーキー」(またはコケカキイキイ)であった。怪物の名前だったか、何かの泣き声だったのかはっきり覚えていないが、インターネットで調べてみると、「昭和初期、紙芝居業界に存在していた紙芝居」とある。後年の水木しげるの妖怪作品とは異なるという。

「コケカキーキー」という音が面白いので、子供達は競って覚えていた。

 

 大人になってある友達と子供時代の話をしていたとき、紙芝居の話になり、私がなつかしそうに、「いかの足」を姉と二人で分けて食べたことを話したことがあった。そのとき友達が、「私なんか母が食べさせてくれなかった」と言った。そういう路上で売っているようなものは、お腹をこわすから食べてはいけないと禁止されたのだそうだ。

 同じことを言った友達が他にもいたから、皆さん金持ちのお嬢さんなのだなあと思った。我が家は庶民的で、自分達は普通の家庭に育った。どちらかというと裕福ではない家の子供なんだなと、少し傷つけられたような気がした。

 今考えれば、そのおかげで何でも食べる子供に育ち、お腹をこわすことなどほとんどなかった。母にというか、自分達の生活環境に感謝している。

 

 しかし、なつかしい、ちょっと胸が痛くなる子供時代の話ではあった。          

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