今日は久しぶりに投稿したいと思います。
307)★日本語(文法)ものがたり41「悪いね、悪いね」
今日は、ブラジルから日本にやってきた、女子外国人留学生の話をします。
ブラジルアの人はポルトガル語を使いますが、英語を話す人も多くいます。

ある日、彼女は日本の地下鉄に乗りました。地下鉄は混んでいましたが、彼女が立っていた目の前の席が空きました。彼女は深く考えないで、その席に座りました。
彼女が席に座ってから間もなくして、彼女の前に1人のおばあさんが立ちました。
彼女はすぐさま立ち上がって、そのおばあさんに席を譲ろうとしました。
「どうぞ」
おばあさんは喜んで、「ありがとう」と言って席に座わりました。

自分の国では年寄りに席を譲るのは当たり前なので、彼女は特に何とも思わなかったのです。
ところが、席に座ったおばあさんは、彼女を見上げて、「悪いね、悪いね。」と言いました。「悪かったねえ。悪かったねえ。」と何度も言ったのです。
彼女はそれを聞いて、変な気がしました。「悪い」は英語で”bad”です。
おばあさんは私に ”You are bad.” 「あなたは悪い」と言ったのであろうか? 私は何か悪いことをしたのだろうか?
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さて、皆さん。
これは本当にあった話ですが、どのようにお考えでしょうか?
「悪い」は英語で “bad” の意味を表しますね。しかし、一方で、謝罪を表す「ごめん(ね)」「すまん」「すみません」の意味を表すこともあります。国語辞書を見てみましょう。
【広辞苑】
★申しわけない。すまない。
例「君には悪いことをした。」「悪いけど、先に行ってくれ。」
【大辞林】
★迷惑がかかって気の毒である、申し訳ない。
例「悪いけど、もう少し待ってね。」「彼には悪いが先に行こう。」
(1)「悪い(わ)ね」「悪い悪い」などの形で、対等または対等以下の人に対して、気持ちを込めて用いる。例「こんなにお土産をもらって悪いね。」
ブラジルの彼女は、「悪い」= badは知っていましたが、日本人が、カジュアルな言い方で軽い謝罪を表すときに、「悪い」を使うということを知らなかったと思われます。
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この話には後日談があります。私は小学校でボランティアとして、「(絵本の)読み聞かせ」を行っています。6年生の子供達に外国人留学生がこんなことで困ることがある例として、「外国人の日本語の間違い」を紹介することがあります。

以前、6年生の子供達に、このブラジル留学生の「悪い」の話をしました。ところが、読み終わったとき、子供たちは何か、よく分かっていないような、あまりピンと来ていないような反応を示したのです。
子供達に聞いてみると、「悪い」が謝罪の意味「ごめん(ね)」「すみません」で用いることを知らなかったと言うのです。
私はシニア世代で、友達や仲間、家族達に「悪い(ね)」をよく使います。皆さん違和感なく、それに対応してくれます。私にとっては、「悪い(ね)」は仲間達に親しみを込めて謝罪する(謝る)言い方なのです。
ところが、子供達は「悪い」の、そのような使い方をあまり知らないと言う。
私は愕然としました。謝罪の意味の「悪い」は、ある年齢以上の人達が使う、子供達に言わせれば「古い」言葉になっているのでしょうか?
言葉がどの世代によく使われ、どの世代では使わないかは調査をする必要があります。そして、それが最近の傾向なのか、いつごろから見られる傾向なのかも調べる必要があります。私はまだ何も調べていません。戸惑っているところです。

そこで、皆さんに宿題、兼、お願いがあります。
次のことをご家族に聞いてみてくださいませんか?
1)あなた自身は、謝罪」の意味で、「悪い(ね)」を使いますか? あまり使いませんか?
2)お子さん達(または家族の人)はいかがですか? このことについての彼らの反応は?
306)「人生やり直す食事を」
今日はNHK深夜便「おいしい仕事人」から「人生やり直す食事を」をお送りします。
法務技官であり、看護栄養士の黒柳恵子さんのお話を中心に進めていきます。

ここは岡崎刑務所の中。料理人は受刑者の人達です。
岡崎刑務所の食事は受刑者が作っています。刑務所には看護栄養士だけでなく、看護婦、薬剤師、社会福祉士など色んな専門士があり、法務省所属の医療機関としての役割を果たしています。
受刑者のほとんどが料理の初心者で、黒柳さんは主にメニューの担当をしています。
受刑者の中には、通常の料理士だったら当たり前にできることを知らない人が多いので、特にメニューのときはいっしょに料理しないと、思いがけないものができてしまうそうです。

黒柳さんは月ごとのメニューを考えて、栄養が妥当であるかとか、予算的なものとか、行事とかも考え、他の幹部たちとの会議を経て、献立を決めます。

黒柳さんの話:
ここでの料理は季節性を反映させるようにしています。秋であれば、サツマイモ、栗などの食材を使ったり、クリスマスの料理を意識したり。最近だと、ハロウィーンとか。
ハロウィーンはカボチャを使ってデザートを作る、クリスマスにはケーキっぽい物とか。

予算は潤沢ではないので、できる範囲でやります。11名が炊場で、受刑者100~110名分の料理を作ります。
炊場では、料理に関係ないことばは私語と扱われるのでダメで、料理は一つの工程ごとに担当官に許可をとらなければならない。「砂糖入れます。醤油入れます。」「よし。」という許可をとらないと、怒られてしまいます。作業をするときには、報告して許可をとります。担当の人がいて、常に監視、指導しています。
刑務所では平等が大前提です。あるとき、「切れていない玉子焼きを10に切るのはできないので、見本を見せてほしい」と言ってきました。目の前で目分量で20等分に切ったら、「おーっ」という拍手が起こり、歓声が上がったりします。
「あとは自分達でやってください」と言ったら、「先生、やってください。責任が大きすぎる」と言うこともあります。受刑者の人っておらおらしたイメージだったが、すごくビビッていることも多い。(おらおら:俗に、強引または強気な態度・性格を表す語。)

受刑者の人の食事は、栄養やカロリーが決まっています。お粥のこともある。いちいち測って刑務官の担当の人が見て、「よしよし」ってチェックをして、体格とか働き方も加味したうえでの平等を守っています。1200カロリーで、米(麦飯)が加わります。

うちで料理をやっていた子と、そうでない人との差が非常に大きいですね。
ここでは(お酒が入っているので、)「みりん(味醂)」が使えない。食材を食べてしまうこともある。たとえばイカフライが給食のときは、受刑者の人は先に食べてしまいます。

「ここ出たら、お母ちゃんに作ってあげる」と言っている受刑者もいます。
刑務所で癒しのものは、甘い物。人気のスィーツはぜんざい。どんぶりに入れる。

実務経験があれば、調理士免許試験を受ける資格ができるので、免許試験を合格する人もいます。ここにいる間に何か技術を付けたほうがいいと言う人もいます。
「刑務所にいたのは黒歴史ですが、黒柳さんと会ったことは良かった」「うまかった、おいしかった」と言われると、うれしいです。
「え、そんなことも知らいなの」っていうようなことは山ほどありますね。
ポテトサラダがべちゃべちゃ。茹で上がったジャガイモをちょっと冷ましてからマヨネーズを入れるのですが、茹で上がったジャガイモにジャージャー水をかけている。何をしてるのって言ったら、「冷ましてます」という返事。
最初教えたことが、いつの間にか変わっているということはあります。
とろみがつかないということで、見に行くと、お料理がシャブシャブになっている。
「片栗粉」を渡して、「入れてちょうだい」と言ったら、すたすたと行って、どさっと入れようとしたので、「ちょっと待った! 片栗粉っていうのは、水に溶いてから入れるのよ」
炊場の皆さんは料理に初心者ですが、料理の楽しさに目覚めていく人もいます。
部屋でレシピ本を読んでいる子がたまにいて、味噌ポテサラだとか、この料理は豆板醤を入れて辛くしたほうがおいしい気がしますとか、いろんな提案をしてくるようになることもあります。私が「それいいね」と採用すると、うれしいわけですね。
おいしいものが出たとき、受刑者間で、「これは誰が考えたんだ」となって、自慢したくなるようです。
刑務所でのやり直す生活に、「食」は元気を与えてくれるようですね。
305)『自分の中に毒を持て<新装版>』を読んで

2025年の大阪夢島万博が開催されている。
大阪での2回目の万博であるが、大盛況だった第1回目の大阪万博がきのうのことのように思い出される。月の石やロボットがシンボル的な存在であったが、岡本太郎の「太陽の塔」も賛否両論、大きな話題になった。
私自身も、あの大きなだけの、奇々怪々なシンボルマークには美しさも面白さも感じなかった。作者が「芸術は爆発だ!」と豪語する人物だけに、「そういうものか」と受け入れていった人々も多かったのではなかろうか。
その岡本太郎が2017年に出した本が、2025年に「新装版」となって本屋の店頭に並んでいる。真っ赤なカバーがかけてあるその本のタイトルは『自分の中に毒を持て』である。

もうご存知とは思うが、ちょっとだけ岡本太郎の経歴に触れる。
岡本太郎は1911年に神奈川県川崎市に生まれ、1996年に逝去。太郎の父親は政治・社会の風刺漫画家岡本一平、母親は歌人であり小説家である岡本かの子である。

岡本太郎については、岡本太郎記念館の館長、平野暁臣氏の紹介が簡潔で分かりやすい。(サイカルjournal NHK)
平野館長の紹介の主要部分を紹介しておく。それだけでも岡本太郎の信念や考え方が分かる。
- 岡本は、作品のジャンルや表現領域が驚くほど広い。美術作家の普通は“一点主義”。
- 岡本の底流にあったのは、「芸術は大衆のもの」という思想。
- 岡本はパブリック・アートを数多く残した。(パブリック・アートとは美術館や画廊ではなく、公園などの公的な場所に設置されアート作品のことを言う。)
- 岡本はパブリックアートに力を入れた。芸術作品を自分で買うことができなくても、いつでも誰でもまるで自分の所有物のように作品を見ることができた。
- 岡本太郎は作品を売らなかった。売れてしまったら、それこそ大企業の社長室や金持ちのリビングに入ってしまう。岡本は自分の代表作全てを持って、全国で「岡本太郎展」を開いた。そこへ行けば人は、太郎の代表作品を全部見ることができた。

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では、新装版『自分の中に毒を持て』の内容に移ろう。本書は章ごとのサブタイトルだけでも、かなりセンセーショナルである。
第1章 意外な発想を持たないとあなたの価値は出ない -迷ったら危険な道に賭けるんだ
第2章 個性は出し方 薬になるか毒になるか -他人と同じに生きていると自己嫌悪に陥るだけ
第3章 相手の中から引き出す自分 それが愛 -ほんとうの相手をつかむ愛しかた愛されかた
第4章 あなたは常識を捨てられるか-いつも興奮と喜びに満ちた自分になる
岡本の本は書き方が断言的で、指示や命令の表現を多く使っているので、強く響く。しかし、今回本書を読んで、私が年をとったためか、自分自身のとらえ方が変わってきているのを感じる。彼の見つめているところが根源的なところであり、岡本は読者に寄り添って、その身になって提言しようとしている。岡本氏の過激な表現にも、その底に脈打つ一途さ、あたたかさが感じられる。
彼が一貫して言っているのは、次のことである。
「何を試みても、現実ではうまくいかないことのほうが多いだろう。でも、失敗したらなお面白いと、逆に思って、平気でやってみればいい。とにかく無条件に、生きるということを前提として、生きてみることをすすめる。」
「才能のあるなしにかかわらず、自分として純粋に生きることが人間の生き方なのだ。」
岡本太郎はたぶんに正直すぎる、率直すぎる人間なのかもしれない。その熱い(熱すぎる)人間性のため、我々市井人には誤解してしまうものがあるのかもしれない。
304)★日本語(文法)ものがたり40「とりあえずビール!」

最近のテレビコマーシャルで、お客さんが生ビールを注文する場面がある。(サントリー生ビール)
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<居酒屋で。店員が注文を取りに来る。>
男店員:いらっしゃいませ。何しましょうか。
客:・・・とりあえず生で。
男店員:はい。

<その場面のあと、男店員が客に言う。>
男店員:「「とりあえず」って言い方、生ビールにかわいそうです。「とりあえず」には、「生くらいでいいやあ!」っていう妥協、感じます。生ビールってもっとすごいやつですから。」
そして、そのあと、コマーシャルがもう一度放映される。
男店員:ご注文は?
客:・・・ものすごく生をください。

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皆さんにはこの小会話の意味(面白さ)がお分かりだろうか?
この会話では、「とりあえず」という表現が意味を持っている。
「とりあえず」は文法的には副詞句として、動詞や形容詞、また文全体を説明する。
意味的には、「十分な対処は後廻しにして、暫定的に対応するさま。なにはさておき」となる。
例文:とりあえずこれだけはしておかなければならない」「とりあえずお知らせ申し上げます」(以上『大辞林』)
他の表現としては、「まず」「差し当って」「ともかくも」「他のことはあとまわしにして」「取り急ぎ」「最終的にどうするかは別問題として」「応急の措置として」などが挙げられる。
最初の会話では、店員が、おいしい生ビールに対して「とりあえず(暫定的に)」と言った客をいさめ、生ビールのおいしさを伝える。それに対してあとの会話では、客が、「分かった。「とりあえず」ではなく、「本当に心から」生ビールをください。」と言い直している。
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日本人は「とりあえず」のような決定を先延ばしするような表現を好む。
「この場はこの場のままにしておいて、先を進もう」というような、「事を荒立てない、内内にしておこう」という日本人としての気持ちがあるのであろうか。
こういう表現は外国人には難しい。日本人の気質や国民性が分からないと、外国人には理解しにくいかもしれない。
「とりあえず」のコマーシャルは、私に一人の外国人の友人を思い出させた。彼女の間違いは、「とりあえず」の使い方の、もっと表面的な事柄ではあるが、ここで紹介したいと思う。

イギリス人のエリザベス(仮名)は愛知県の某市役所に勤めていた。英語の翻訳や通訳が主な仕事であった。彼女の課の人達は時々そろって飲み会に行くことがあった。そんな時は彼女も誘われた。彼女は日本語があまり得意ではなかったが、彼ら日本人が居酒屋(焼き鳥屋)に入って店員に発する言葉が、「とりあえずビール2、3本!」であった。
彼女は何度も何度もそれを聞かされていた。「とりあえず」「とりあえず」・・・ああ、今日もまた言った・・・。
ある時、ロンドンの両親が日本に観光に来ることが決まった。彼女は、両親を、いつも連れて行ってもらっている居酒屋に連れていくことにした。鶏肉は両親も好きな料理だ。
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店員:いらっしゃいませ。何にしましょう。
店員が言った。彼女は迷わず答えた。
エリザベス:とりあえずを5、6本ください。
店員:???
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店員は最初はピンと来なかったようだ。店員の戸惑った顔を見て、彼女のほうも戸惑った。
彼女は思った。「「とりあえず」って、焼き鳥の名前じゃないの?」
彼女は「とりあえず」を焼き鳥の名前だと思っていた。「とりあえず」には「とり」という音が入っていたし、日本人はしょっちゅう「とりあえず」「とりあえず」と言うから、それは焼き鳥の名前だと思い込んでしまったらしい。

この話は、「とり」という言葉・発音から来る誤りではあるが、もう少し突き詰めるなら、「とりあえず」とまずは言って事を済ませ、次に進もうとする日本人の習慣・国民性が、外国人であるエリザベスに理解できなかったし、想像できなかったためではないであろうか。
303)理系と文系とどちらが頭がいい?
国語辞書『大辞林』で引くと、「文系」とは「文科の系統。また、その学科。」とある。そして、「文科」を引くと、「⓵自然科学系統以外の学問の分野。人文科学・社会科学の分野。また、それを専攻する大学の学科・学部」とある。
(自然科学とは、地球や宇宙の自然界の現象を研究する学問の総称。人文科学とは、人間の精神や文化、歴史、言語などを研究する学問分野のこと。)
「文科」「文系」の「文」を「理」にすれば、「理科」及び「理系」の意味になる。
日本の大学はおおむね「理系」と「文系」に分かれる。そこから、自分は理系なのか文系なのか、理系と文系のどっちに向いているのか、どっちが就職に有利なのかなどを考えて、若者達は進路を絞っていく。

私の連れ合いは、大学で地球物理学を専攻した。明明白白な理系人間である。先日親族に法事があり、その帰りにホテルの喫茶室でお茶を飲んだ。夫の前に座ったのが、姪夫婦の子供達であった。高校1年と中学1年の男子である。才気煥発な兄弟で、ケーキなどはそっちのけで、夫に質問を浴びせかけた。

「宇宙の始まりはいつだったの?」

「宇宙の大きさはどのくらいなの?」

「ブラックホールって何?」

「光には速度があるの?」

「本当に過去に戻ったり、未来に飛んだりできるの?」
「アインシュタインは何をした人なの?」

などなど。
夫の立ち位置としては、「実は何にも分かっていないんだよ」ということで、いっしょに考えてみようと、ああでもないこうでもないと話し合ったみたいだ。そして、話はどんどん盛り上がっていった。
彼らの質問の中に次のような質問があった。
「理系と文系とどちらが頭がいいの?」

夫はまたもや返答に窮してしまった。
「自分は理系人間だが、最終的には人間の心に関わる深い学問だから、文系のほうが頭がいいのかもしれない」と答えたようだ。
世間的に言えば、医学や科学や工学などを扱う理系のほうが頭がいいのではと思う人達が多いかもしれない。いや、きっとそうだろう。大学では実験やいくつもの課題を解決して、具体的な成果を上げていくのが理系であり、文学や哲学、経済、芸術などのように漠然とした曖昧な課題と取り組むのが文系である。
理系は答えが出やすいが、文系では思考の過程が重要で、答えはなかなか出てこない。答えが出なくても、ああでもないこうでもないと考えるのが文系の学問姿勢である。
就職に関して言えば、理系は対象がはっきりしているし、技術的な力も付けることができるので、その部門の会社を見つけることが、かなりたやすい。一方、文系は語学のようにすぐ役立つもの以外は、4年間研究してもいつまでも漠然としているし、つかみにくい。就職も決まりにくいことが多い。

夫の話を聞いて、私は興味を持った。そして、AIはこんな疑問にどう答えてくれるのだろうと、ふと思った。AIとのやりとりは次のようであった。
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私の質問:「中高生の孫からの質問」
「孫たちから、大学には文系、理系という分け方があるが、どっちが頭がいいのかという質問を受けました。AIはどう考えますか?」
AIの答え:とても興味深い質問ですね! どちらが「頭がいい」というのは一概には言えないと思います。文系と理系では重視される考え方やスキルが異なるだけで、どちらも重要な役割を果たしています。
文系では、言葉や歴史、社会の構造を理解し、人間の行動や価値観を考える能力が求められます。一方で、理系では、科学や数学を通じて自然界の法則を解き明かし、技術や医療の進歩に寄与する能力が求められます。
つまり、「頭がいい」というのは、その人の興味や得意な分野によって異なり、文系でも理系でもそれぞれの分野で優れた能力を発揮できる人がいます。中高生の今は、いろいろなことに挑戦して、自分がどちらの方向に興味を持っているかを探してみるいい時期ですね。
お孫さんがこうした深い質問をされること自体、とても素晴らしい好奇心を持っている証拠ですね!
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私は現時点では、AIの考えを鵜呑みにするのは良くないと考えている。AIはたくさんのデータの中から考えをまとめているので、大まかには正しいと思われるが、それ以上のものではない。人間は物事を判断するとき、いろんな側面や状況やその時の事情や、関わっている人々の心情にまで踏み込んでは判断する。AIはしょせんロボットだから、総合的な判断が十分でなかったり、結論を急ぎすぎたりする。
しかし、今度の「理系か文系か」というAIの答えには、人情的なものが見受けられた。まず、冒頭の「とても興味深い質問ですね!」という表現。そして、最後の「お孫さんがこうした深い質問をされること自体、とても素晴らしい好奇心を持っている証拠ですね!」の部分。
AIが人間の回答に近づけるため、ほめ言葉を挿入する方法を覚えたのかどうかは分からないが、こういう表現は質問者の気持ちを和らげてくれる。

302)「「いい人」をやめれば人生はうまくいく」を読んで

この本は、2016年に日本実業出版社より出版された。午堂登紀雄(ごどうときお)1971年生まれの、米国公認会計士の方である。

この本の前書きの最初の行に次の文が書かれている。
「本書を手に取ったあなたは、きっと「いい人」なのだと思います。」
その一行を読んで、私は「ああ、図星だなあ」と思った。
ここで言う「いい人」とは、他人に嫌われないよう、万人に好かれるように行動する人のことを言う。作者いわく「それは誰でも持っている自然の欲求と行動で、平穏な生活を送るうえでも大切なこと」であるらしい。
私自身は別に万人に好かれたいとは思わないが、周りの人達、付き合いのある人達からは嫌われたくないという気持ちは強い。しかし、一方で、そんな性格を直したいと思うこともある。相手の要求を堂々と断ったり、凛として自分の意見を述べて、あとを引きずらないなどの人間になりたいと思ったりする。
この本は38のトピックに分けられていて、それに対して「やめられない人」はどうなるか、「やめられた人はどうなるか」が記されている。例を示す。
01「いい人でいる」のをやめる。

やめられない人:人間関係が息苦しく、窮屈になる。
やめられた人:自然体でそのままの自分で生きられる。
02「嫌われることを恐れる」のをやめる。
やめられない人:気をつかいすぎて疲れる。
やめられた人:無駄なストレスがなくなる。

01から38までのトピック自体も面白いが、それぞれの解説文の中には参考になる一節が多い。いくつかを取り上げてみる。
⓵ 結局、私自身の性格を好きだという人もいれば嫌いだという人もいるので、それなら素のままの自分を受け入れてくれる人とだけ付き合うのが幸せというものだ。

② 人生は一度きりしかないのに、他人のために自分を犠牲にして過ごすなんて、それこそ人生の無駄遣い。
③ 不安、悩み、恐怖、怯(おび)えは、実はどこにも存在しないものであり、自分が勝手につくり上げた妄想にすぎない。自分というものがしっかりしている人ほど、むしろ群れることを避け、不必要に他人とつるんだり絡んだりしないものだ。

④ 一人の時間が個を強くする。

⑤ 人間関係が苦手な人は、家族中心に生きるという方法もある。

⑥ 著名人はなぜ著名人たりうるかというと、個性を表現しているからである。
⑦ 理不尽なクレーム(苦情・注文)への対処法は「それで?」を使う。何か言われたら、「それで?」で返す。「それで?」は相手を刺激しない、その場を収める言い方である。「あなたのせいでしょう!」と言われたら、「それで?」で返す。「責任を取れ!」と言われたら、「それで?」を繰り返すだけ。相手はやがてあきれて去っていく。


⑧ いい人すぎる人は、敵はいないけれども自分を守ってくれる味方もいない。

⑨ 好きなこと・得意なことを仕事にすること、自己表現できる機会を持つこと、自由裁量権を持てる状態をつくること。

⑩ 友達が少ないことは恥ずかしいことでもなんでもなく、一緒に泣いて笑って悩みを打ち明けられる相手が一人いればいい。

⑪ 普通の大人にとって、友達はいてもいなくても特段の変化をもたらさない。
⑫ 物事や状況を「まあ、こういうこともあるさ」「いろんな人がいるものさ」「そんなに目くじら立ててもしょうがないさ」と切り替え、「これが私です。それが嫌ならそれでどうぞ。」と割り切る。

⑬ そう、実はみんなわかっているのです。自分の限界を定めるのはいつも自分。自分の夢をあきらめるのはいつも自分。自分の未来を裏切るのはいつも自分だと。
以上、ほんの一部を紹介したが、作者が目指す「心を開放し、自由になるための、オリジナルな方法を編み出しいていく」という本書の意図の一端は理解していただけたかと思う。