対談番組で言語学・国語学者の金田一秀穂氏と、作詞家の秋元康氏が対談をしていた。両者とも日本語を扱う仕事であるので、話の中身は「言葉」が中心になる。いくつかの「言葉」が消えつつあるが、現状はどうなっているのだろうという話が出た。
年配の人達には馴染みの「言葉」が、死語になったり、死語になりつつある。今回は、対談で話題に出たそういった「言葉」について少し考える。
「みだりに」
タクシーの中に、「運転手にみだりに話しかけないでください」という張り紙があった。いくつかの論争があって、その貼り紙は取り外されたそうが、なぜ取り外されたのだろうか?
問題になったのは、「みだりに」の使い方が適切かどうかという点である。「みだりに」は「秩序を乱して」「むやみに」「わけもなく」「思慮もなく」「無作法に」「しまりなく」(広辞苑)等の意味がある。
「みだりに」は「意味的にマイナス評価(「良くない」という意味)を表す語で、多くは否定的文脈の中で用いられる。(「みだりに高山植物を採集する人が増えている。」のように肯定文で用いられる場合もある。)
(1) みだりに教室から出てはいけません。
(2) 彼らの話にみだりに口出しすべきでない。
(3) 学生はこの部屋にみだりに入るべからず。
(4) みだりに妻を離縁するものでない。
(5) みだりに欠席するべからず。
(6) みだりに殺生するものでない。
(7) みだりに男に関心を抱くな!
1)~(7)の例を見ると、「~してはいけない」「~ものではない」「~べからず」「~(する)な」など、「みだりに」はかなり強い命令的表現とともに使われていることが分かる。(冒頭のタクシーの例の「~しないでください」もそうである。冒頭のタクシーの文が論議を呼んで取り外されたのは、「みだりに」が強い否定の禁止、指示、命令を表すために、タクシーの客に対して失礼に当たると判断されたのであろう。
対談の中で出た問題の「言葉」は、他に、「殿方(とのがた)」「乳母車(うばぐるま)」「下駄箱(げたばこ)」「筆箱(ふでばこ)」「切符(きっぷ)」「グループ」であった。
「殿方(とのがた)」
「殿方」に対する語は「ご婦人」であろう。男性を意味する「殿方」は今ではほぼ死語になっている。私自身が記憶しているものとしては、男性の「お手洗い」のドアに「殿方」という標識を見たことがある。また、会話の中で、「これについては、殿方はどう思っているんだろうか?」とか「殿方はどう言うんだろう?」のように、少し茶化して言うこともありそうな気がする。
「乳母車(うばぐるま)」
「乳母車」は今では「ベビーカー」や「バギー」と呼ばれることが多い。福沢諭吉がアメリカから持って帰ってきたそうで、本来は「乳母の代わりをつとめる車」という意味であった。日本には「乳母」はほとんどいないので、なぜ「乳母車」なのかと疑問に思っていたこともある。
「下駄箱(げたばこ)」
個人の家では普通は玄関を入ると下駄箱がある。カランコロンと履く下駄がない家庭でも、それを「下駄箱」と呼んでいる。小学校では玄関(昇降口)で靴を履き替える。小学生が履いているのは運動靴だ。上履きも運動靴である。
では、小学校でも「運動靴」を置くところは「下駄箱」と言うのだろうか。ウエブで調べてみると、「下駄箱」と言っている学校もあるが、多くは「靴箱」「シューズボックス」、または、場所の名前を使って「昇降口」と言っているところもあるようだ。「下駄」をほとんど見たことのない子供もいるだろう。彼らにとっては、「下駄箱」ではなく「靴箱」のほうが納得しやすいにちがいない。
「筆箱(ふでばこ)」
昔は日本では筆の使用が盛んであった。しかし、子供達にとって、現在では筆はお習字のときに使うだけで、「筆箱」には鉛筆やボールペンが並んでいる。子供達は「筆箱」とは言わずに「ペンケース」や形に応じて「ポーチ」と呼ぶらしい。
「切符」
電車やバスの切符は「切符」と呼ぶが、コンサートや映画館に入るための「切符」は「チケット」と呼ばれる。その延長上にあるのか、子供や若者が「切符」をすべて「チケット」と呼ぶことが多いようだ。
そういえば、私なども新幹線の「切符」、特に正方形の大きい「切符」はチケットと呼ぶことがある。
「グループ」
AKBや向坂46などの歌唱グループや、ボーカルグループ、バンドグループなどは「ユニット」と呼ぶらしい。秋元康氏が言明していたので、業界では当然のことなのであろう。
最後に皆さんへの課題です。
皆さんの身のまわりに、昔は使っていたのに最近はあまり使われない「言葉」がありますか。また、同じ「言葉」だけれど、意味合いが変化しているというようなものがありますか。一つでもいいので、もしあったら、教えてください。