詩人でもあり、童話作家・絵本作家でもある内田鱗太郎氏の話を聞き、胸が熱くなった。これは彼の子供時代の話であり、人生の話であり、生き方の話である。
まず、継母との出会い。
内田氏は6歳で自分を生んでくれた母親が死ぬ。母親は心の温かい人で、麟太郎を可愛がってくれた。しばらくして父が再婚し、継母が来た。継母には連れ子が2人あった。継母は麟太郎を愛さなかった。鱗太郎は6歳にして、抱きしめてもらったり、手を握ってもらったり、触れてもらったりという、母親の愛情をなくしてしまった。
まだまだ愛情のほしい年ごろであった。求めることと現実との落差のために、さびしさで町をさまようことが多くなった。
小学4年生のころから万引きをし始めた。万引きした物を友達にあげるのである。
麟太郎は温度が低くなる(寒くなる)と、死にたくなった。何も食べないでうろつき回った。どんどんやせていった。
彼はそこで、「生きている」ということは「時間を過ごすということ」を知る。どうやってこの寂しい時間を過ごすか・・・。
しかし、麟太郎は、友だちや先生との出会い、やさしさで生きてこられたことを悟っていくのである。
のちに継母は家を出ていくが、継母の最後の言葉が、「愛さなくてごめんね」であった。継母であるがゆえに麟太郎を愛せない、愛さない、それは継母の業のようなものであった。彼女自身も苦しんでいたことを麟太郎は知る。
麟太郎は継母の気持ちを聞いて、自分の自殺願望が消えていくのを感じた。
のちに妻と知り合い、結婚する。妻の優しさで、自分の今までの「こわばり」が溶けていくのを感じた。
ぽつぽつと語る内田氏の子供時代の話は身につまされた。愛されることを失った子供の切ない気持ちが、ビンビンと伝わってきた。母親に、手に触れてほしい、抱きしめてほしい。それができないさびしさ、つらさ・・・。
内田氏の引き続いての話も、胸深く響くものであった。
たとえばビル火災のとき、7階、8階の人が炎に包まれて助けを求めている。それを見ている人は、誰もが彼らが助かってほしいと思う。それは理屈(=理由)ではない。この助かってほしいという感情は、理屈や理由が要らないものである。
内田氏は言う。
人生には理屈や理由の要らないことがある。
それは、人は心のどこかに、生きることの「有難さ」を感じているからだ。人は皆そうした感謝の気持ちを持っているのだ。
(私達は)それを信じてみよう。
私なりの解釈を加えれば、たとえば、子供が溺れているのを見て、池に飛び込んで死んでしまう人がいる。人が電車のホームから落ちたとき、電車が来るのも顧みず、助けるために飛び降りてしまう人がいる。
それは理屈や理由があるのではない。
人は無意識にそうした行為をしてしまうのだ。
人とはそういうものであり、それは人が心の中に、意識しているといないとにかかわらず、感謝や尊敬、有難さのようなものを持っているからだ。
内田氏は、人間のそうした心を信じてみようと言っている。
内田氏のそうしたとらえ方の中には、「誰もが悲しみを抱えて生きている、悲しみをこらえて生きているのだから」というのがある。悲しみを抱えながら、人の不幸を見たときには、助けるために、とっさに行動しようとする、それが人間なのだ、人間の素晴らしいところなのだと言っている。
内田氏の話を聞いて、私は生きる元気をもらったような気がした。こんなふうに考えれば、人が好きになれるし、人に感謝して生きていける。
この世には、「理屈や理由が要らないものがある」という言葉は、私に生きる指針の一つを与えてくれたような気がしている。