135)笛竹人 鯉沼廣行氏

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 6月17日NHK深夜便「明日へのことば」で、横笛奏者の鯉沼廣行氏の話を聞いた。

タイトルは「笛との出会い、人との出会い」であった。

(冒頭の写真は鯉沼氏のofficial siteより拝借。私の昔からの友人が鯉沼先生の篠笛(しのぶえ)の弟子であり、彼女の尽力で写真掲載の許可を得ました。)

 鯉沼氏がフルートからリコーダへ、また、リコーダから邦楽へ、そして、篠笛に出会うまでの変遷にも感銘するが、それ以上に、変遷の中での人との出会いにはいろいろ考えさせられるものがあった。

 

 鯉沼氏は1943年生まれ。中学時代に横笛、特にフルートに興味を持ち、ブラスバンド部でクラシック音楽に没頭する。大学は国立大学フルート科に入学。

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 大学ではバロック音楽に惹かれ、中世に生まれたリコーダーに没頭する。音楽教師を志望していたこともあって、大学卒業後はリコーダ教則本を作るなどリコーダの普及に励む。

 小学生がよくランドセルの横にリコーダをぶら下げていたりするが、日本でのリコーダの普及に尽力したのは鯉沼氏である。

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 鯉沼氏はその後、有名琵琶奏者の演奏に痛く感動し、邦楽に魅せられていくようになる。邦楽にのめり込み、現在では雅楽能楽で奏でられる篠笛奏者の第一人者でもある。 

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 鯉沼氏は横笛の変遷以上に、数々の人との出会いがあった。それは特に邦楽との出会い、篠笛との出会いによってもたらされたものが多いようだが、音楽一筋の生き方が、こんなにも世界を広げるのかと、一種の感銘を受ける。

 

 その中の4つの出会いを紹介する。

まず、その1。

 

 鯉沼氏は中学のとき、神社のお祭りで、笛を買った。笛を売っていたおじさんが、「そっと吹いてごらん。もし音が出なかったら、取り換えてあげるからね」と優しく言ってくれた。

 子供の小遣いで買えたのであるから、高いものではなかったはずである。鯉沼氏はその後、横笛に、そして、篠笛に夢中になっていくが、そのおじさんと奇跡的な再会を果たす。

 鯉沼氏が篠笛の演奏に没頭していた当時、鯉沼氏は演奏に必要な低い音の出る笛が必要になった。そこで京都まで行って紹介されたのが、あの神社で笛を売っていたおじさんであった。おじさんは久保井朗童という有名な笛作り師であった。

すごい再会ではないか。中学校時代の神社で出会ったおじさんに、何十年もあとに出会う。そして、その人が笛づくりの名人であることを知る。 

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 出会いの2つ目は、尺八の横山勝也氏。横山氏に魅せられて、どんどん邦楽にはまっていく。

 3つ目は評論家秋山ちえ子さんとの出会い。秋山ちえ子さんは鯉沼氏の篠笛を聞き感動した人であった。自分の講演会に鯉沼氏を招き、鯉沼氏に篠笛を演奏してもらった。そのおかげで、マイナーな篠笛が地方でも知られるようになり、ファンが増え、地方で演奏会が催されるようにもなった。

 出会いの4つ目は、世界的に有名な作曲家の武満徹氏との出会いである。1985年に日仏合作で歴史映画が作られた。黒澤明監督の「乱」である。鯉沼氏は黒澤明監督のファンでもあったが、映画「乱」で笛を吹いてほしいという依頼があった。そこで、音楽監督の作曲家武満徹氏との出会いがもたらされた。緊張する鯉沼氏に武満氏は優しく「緊張する必要はない」と助言されたという。 

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 私が取り上げた出会いは、鯉沼氏の数多くの出会いの一部でしかない。

 篠笛という日本古来の楽器のおかげではあると思うが、西洋音楽から邦楽へ、フルート、リコーダーから篠笛へと、変遷していった鯉沼氏には、色々な分野の著名人との出会いがもたらされたのである。