115)菅首相の話し方

 

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  菅首相に対する話し方の批判が出ている。

菅氏は丁寧な人間なので、

 

「非常に厳しい状況だと認識いたしております。」
「心から感謝を申し上げる次第です。」

 

というように、話し方も敬語が満載で、丁寧だが、場合によっては曖昧に聞こえる。

 

 批判の中に、菅首相は「思います」「思っています」を多発するため、文が直接的でなく、曖昧で回りくどく聞こえるというのがあった。

 そのジャーナリストが言うには、1月4日、わずか30分ほどの年頭の会見で、菅義偉首相は39回も「思います」「思っています」を繰り返したという。

 例として次のような文を挙げている。

 

(1) 改めてコロナ対策の強化を図っていきたいと思います。
(2) 不要不急の外出などは控えていただきたいと思います。
(3) 国民の皆様と共に、この危機を乗り越えていきたいと思います。
(4) 皆さんに安心と希望をお届けしたいと思います。
(5) その年が新たな成長に向かう転機となった変革の年であった、こう言われる  年にしたいと思います。

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   ジャーナリストの意見はもっともだと思うが、長年外国人に日本語を指導し、丁寧に話すことの必要性を理解させ、練習させてきた身にとっては、「う~ん」と考え込んでしまうところもある。

 外国人には丁寧に話せと言い、首相には丁寧な言い方でなくていいから、もっと端的であれというのは、言葉の難しさを表している。この問題は、立場と状況によって言葉の使い分けすることの重要性、難しさが絡んでいるのだと思う。

 

 上の例(1)~(5)は簡潔に言えば、例えば、次のようになろう。

 

(1) 改めてコロナ対策の強化を図っていきたい。
(2) 不要不急の外出は控えてください。
(3) 国民の皆さんといっしょに、この危機を乗り越えていきたい。
(4) 皆さんに安心と希望を届けたい。
(5) その年が新たな成長を作った変革の年であった、こう言われる年にしたい。

 

 菅首相は上に立つ人なのだから、このように言ったほうがよかったのだろうか? 確かに「と思います」を省いて直接的に、簡潔な言い方で話したほうが分かりやすいし、直接心に響く。

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 ちょっと文法的になるが、「~と思っています」も含めて「~と思います(以後「と思う」)の文法的側面に触れてみたい。

 「~と思う」には通常2つの用法がある。一つは「旅行したいと思う」「行こうと思う」のように希望を表す「~たい」や、意志を表す「~(よ)う」と結び付いて、話す人の気持ちを表すものである。

 ここで「と思う」は、話し手の気持ちの直接的な言い方をやわらげ、丁寧にやわらかく話す働きを持つ。この「と思う」は省略ができる。省略しても意味は変わらないが、言い方が直接的で丁寧さがなくなる。

 

 もう一つは、次のように事実や自分の意見・考えを述べる「と思う」である。(6)(7)は記者との質疑応答で菅首相が言った発言である。

 

(6) まだ総裁選挙は先の話だと思っています。

(7) その問題については日本人は同じ思いだと思っています。

 

 ここでは、「と思う」の前に「~たい」や「~(よ)う」のような気持を表す表現が来るのではなく、事柄や意見・考えが来る。

この「と思う」は省略ができない。事柄や意見に「と思う」がなくなると、それは意見や考えではなく、100%事実の事柄になってしまう。

 

(6)’ まだ総裁選挙は先の話だ。

(7)’ その問題については日本人は同じ思いだ。

 

 ジャーナリストが菅氏は「と思う」を使いすぎると批判したが、彼女が新聞のコラムで取り上げた例文((1)~(5))は、すべて話し手の気持ちを表す「と思う」である。客観的に事柄や意見・考えを述べる「と思う」は含まれていない。

 

 ジャーナリストは単に「と思う」「と思っている」が多すぎると菅首相を非難したが、もう少しどういう使い方をしているのか分析する必要がある。少なくとも意見・考えを述べる時の「と思う」は含めるべきではないのではないか。

 

 菅首相は、(6)(7)以外に次のような意見や考えを表す文も使っている。

 

(8) まずは目の前のこうした課題に一つ一つしっかり取り組んでいくことが大事だと、このように思います。

(9) そうしたリスクの発生源がかなり多いと言われる飲食、そうしたことを中心にしっかり対応すべきかなと思っています。

(10) 限定的に、集中的に行うことが効果的だというふうに思っています。

 

 曖昧な表現という意味では、下線を付けた「このように」「~かな」「~というふうに」のような、曖昧さを倍加する表現こそ避けたほうがよいのだろうと私は思っている。