安倍首相の辞任も、もうはるか昔のように感じられる。あれだけ頑張っていた安倍さんの突然の辞任について、遅まきながら雑感を述べたいと思う。
安倍首相が持病を理由に辞意を表明した。8年近く続いた首相職を任期前になぜ辞めるのか、本当の辞任理由は何なのかを、今でもふっと考えてしまう。
自己肯定感という言葉がある。
自己肯定感とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉(ウィキペディアより)である。
人が「辞める」気持ちになるのは、自己肯定感が弱くなってしまうからではないかと思う。
仕事にしろ何らかの任務にしろ、その職責に付いた当初は周りから祝福される。サポートしてくれる人も多く、仕事の目的・目標が明確で、やれる環境が整っていることが多い。
しかし、職務が長引いてくると、どれだけの成果を上げているかが見えにくくなってくる。
どのくらい自分が長として皆をまとめているか、自分が引っ張っているか、部下は自分をサポートしてくれているかなどが見えにくくなる。
誰も上司に対して「あなたは立派な上司だ。頼りになる優秀な上司だ」とは言ってくれない。
逆に、時々聞こえてくるのは、批判的な意見である。実際は悪く言っていないのかもしれないが、当人にとって批判は厳しいものとして感じてしまう。
ここで必要なのが、自己肯定感というものである。
人がどのように評価しているかは考えずに、自分の中で「自分は一生懸命やっている」と、自信を持つことであり、淡々とやり続けることである。それには、「胆力」が必要でもある。
自己肯定感がないと、人は人の批判に右往左往して自信を失ってしまう。
自己肯定感のある人は、人の評価に左右されないという点で、悪く言えば鈍感な人である。
上に立つ人は鈍感な面も持つ必要がある。不必要な人の批判を気にしない鈍さが必要である。「長期にわたればそういうこともあるよ」という、開き直りが必要である。
安倍首相は鈍感な人ではないので、いろいろな批判や避難にかなりの神経をすり減らしてきたのではないかと思う。
たいていの人は上に立ってしばらくすると、自分は皆をまとめていないのではないか、いい仕事をしていないのではないかと、いつも不安になる。最初は好意を見せていた部下たちが、職務が長くなるにつれて、いちいち好反応を示してくれなくなる、
それは当然のことであるのに、彼らの反応にとらわれてしまう。そんなことも自信を失う要因である。
たいていの人はずぶとくなれなくて、どんどん孤独感を深めていくのであるが、安倍首相も自身に対する批判や批評がかなり重くのしかかっていたのではないか。
安倍首相の病気が抜き差しならぬものであったのであろう。前の晩遅くまで国会審議で矢面に立たされて、次の朝にはG7とかアセアンの会議に出席している。
いっそのこと、内政と外交を分け、内政は官房長官に任せることもできたはずだ。
「俺は他の首相にはできなかった、価値あることをしている」という自信を持って、野党やマスコミの批判を受け流していけばよかったと思う。