老人の家の中にはお腹の大きい女性がいた。私を連れて来てくれた男性のお嫁さんだった。男性は老人なんかではなく、中年の男性だった。お嫁さんも何も言わない人だった。いっしょにお風呂に入ったときも、私に何も聞かないで、お腹の大きくなった色白の体を黙々と洗っているだけだった。たった一言、「しょっちゅう連れてくんだから」と言った。
私は申し訳ない気がして、落ち着かなかった。しかし、私の周りでどんどん段取りが進んでいく。
奥さんが準備してくれた夕食を食べ、奥さんが敷いてくれた布団にもぐりこんだ。旦那さんも奥さんもほとんど会話を交わさなかったように思える。
寝る前に旦那さんが言った。
「明日の夜明けにイカ釣り船さ帰ってくるんで、見に行くべ?」
私は大きくうなずいた。どんな時でも必ず「やる」のが私の習慣。
翌朝4時、旦那さんの弟さんが港へ連れて行ってくれるそうだ。彼らは何も言わないけれど、どんどん事を進めていく。
次の朝、4時に弟さんが玄関で待っていた。20歳代の肩幅の広い男性だった。自転車の後ろ座席に乗せてもらって、港に向かった。弟さんもあまり話さなかったが、お兄さんよりは笑顔が多いのでとっつきやすい。
「もうすぐイカ釣り船が戻ってくるで。」
イカ釣り船はランプをいくつもぶら下げ、ランプの明かりで船全体が明るく照らされている。何艘もの小ぶりの船が港に近づいていた。
私は埠頭に積まれたイカの木箱を覗き込んだ。
きれいに並べられた大ぶりのイカが、一斉にぬるぬると動いている。動くたびに、茶色の皮に散りばめられた金粉と銀粉のような斑点がぬめぬめと動く。茶色の皮の色が濃くなったり、薄くなったりする。自分が今まで見てきたイカよりも、茶色がはるかに濃く、斑点がはるかに大きい。
弟さんはまた私を家まで連れて帰ってくれた。私は厚かましすぎたと思う。しかし、妊婦の奥さんが作ってくれた朝ご飯をいただき、弟さんの自転車で駅まで送ってもらった。ほとんど喋らない家族だったけれど、淡々と、そして、黙々と私を受け入れてくれた。
私は帰阪してから、持ち金を全部出して数えてみた。2,3万円にしかならなかったが、それで大阪の名物を買った。おこし、せんべい、塩こぶ、そして、兄弟のどちらということもなかったが、男物のセータ―1着を段ボールに入れた。
半年ほど経って弟さんからハガキが来た。そこには簡単に、セータや大阪みやげに対するお礼が書いてあり、最後に「また来てください」とあった。何も言わない家族らしく、葉書にはそれ以外のことは何も書かれていなかった。