218)3人の義兄

 私は4人姉妹の一番下である。3人の姉は皆結婚をしている。したがって、私には3人の義兄がいる、いや、いたことになる。

 残念ながら、義兄は3人とも亡くなってしまった。

        

 私の姉妹は全員お酒が飲めないが、お婿さんは全員お酒大好き人間であった。したがって、親戚が集まる時には、婿さん達だけで輪を作って、差しつ差されつしていることが多かった。

        

        

 最初に亡くなったのは、3番目の姉の旦那Yさんである。

 大人しい、穏やかな人であった。明るい性格で、酒の席でも決して乱れることはなく、自分も楽しく、周りも楽しくと、気を遣う人でもあった。あまりしゃべらないが、ソフトな性格なので、皆から信頼されていた。何度かお宅にお邪魔したが、自らが運転して明日香村遺跡へ連れて行ってくれたり、近所で評判のステーキ屋さんでご馳走してくれたことがあった。いつもニコニコしていて、細やかな気遣いをしていただいた。

 

         

 

 彼が亡くなった当時、長姉の旦那Nさんは体調を崩して寝込んでいたが、「Yさんが」と、病を押して葬儀に参加した。車椅子を使いながら、また、人に助けてもらいながら、すべての行事に参加した。親戚代表として挨拶もしてくれた。

 

 Y兄の次に亡くなったのが、そのNさんであった。地元の名士で、いくつかの事業をやり遂げた。タクシー会社、カレー&コーヒー店、スキーショップ、旅館の料理部門、マンション経営などなど。70代に入って体調をこわしてしまったが、「体が元気だったら、まだまだ事業をやりたい」と言うほど、常に   

何かをやっていたい人だった。 

        


 親分肌の人なので、多くの人が彼を慕っていた。口もほどほどに悪く、私なども「常識的なことを何も知らない」とよく言われた。でも、愛情をもって言ってくれるので、素直に聞けた。焼酎が大好きで、「鮭とば(鮭の干物)」を肴(さかな)にチビチビやっている時が、一番幸せそうに見えた。

 ついこの間亡くなったのが、2番目の姉のお婿さん、Kさんである。

 生まれながらの営業マンで、人とのコミュニケーションが上手い。生来のイケメンということもあって、人に爽やかな印象を与える。

 

         

 

 私は高校2年生の夏休み、心斎橋の大丸デパートで初めてアルバイトをした。どこの売り場だったかはっきり覚えていないが、和装小物のようなものを扱っていたと思う。店員として、客に品物を売る係だった。箱に入れて、上手に包装する練習も何度もさせられた。

 アルバイトが始まってまもなくのある日、ちょうど昼ご飯時であった。K兄さんがひょっこりデパートの売り場に現れた。いつもの笑顔で「こんにちは」と言う。

 大丸の下の階に寄ったので、ちょっと寄ってみたということであった。K兄さんは紳士既製服の生産卸販売会社をやっていて、大丸にも出店している。そこに手伝いに来ていたようだ。

 K兄さんは毎日のように顔を出した。お昼になると、「こんにちは」と言って、現れる。

 どこに連れて行ってもらったのか、ほとんど覚えていないが、心斎橋筋のレストランであったり、食堂であったりした。K兄さんはほとんど毎日現れた。毎日なんて来なくていいのにと思ったが、昼時になると、笑顔を見せた。

 K兄さんと私の年齢差は5歳である。私が18ぐらいだから、Kさんは23歳ぐらいであったろう。あの時はずっと年上の「おじさん」というふうに思っていたが、たったの5歳しか違わなかったのだ。

 K兄さんも去年亡くなった。

 

 3人のお酒大好き人間たちは、天国で元気にしているだろうか? 3人で奥さんたちのことを噂しながら、お酒を酌み交わしているのだろうか。それとも???