258)着物の着付け教室

 NHKラジオ放送「文芸館」で、藤岡陽子作『遺言』を聞いた。小さな作品であるが、私の姉が着物の着付け師であることもあって、興味深く聞いた。テーマが「着物」であるせいか、しみじみと胸に沁みるものがあった。

 以下は、藤岡作品のあらすじをまとめさせてただいたものである。

 

            藤岡陽子さん

 

 倉島さんは、たまたま見た「市民だより」の着付け教室に参加する。期間は10日間。午後4時から2時間の講習であった。

 

         

 

 講習では女性の着付けを習うことになっていたが、なぜかそこに老年男性の倉島さんの姿があった。先生も男性が混じっていることに戸惑い、倉島さんにそれとなく言う。

 

 しかし、倉島さんは一途に講習を受け続けた。その態度は謙虚で、一生懸命であったので、いつのまにか彼は、受講生の一人として皆に受け入れられていった。

 太鼓帯を結ぶ場面でも、男性の彼の結び方はしっかりしていたし、彼が家から持ち寄った太鼓帯は品の良さで人目を引いた。

 帯の柄は紺色の地に水玉がちりばめられたもので、それは夏に降る雪の柄であり、夏に締める帯としては粋なものであった。

 

        

 

 「倉島さんの後ろ姿からは、かつてあった日本人の美しさを感じますね」

と先生が言うと、倉島さんは口をつぐんだまま恥ずかしそうに下を向いた。

 

 講習の終わりが来た。仲間が記念の写真を撮った。それはみんなの記念になった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 真美が、倉島さんが亡くなったという知らせを受けたのは、講習が終わって2年後であった。

 倉島さんの葬儀は円上院という寺で行われた。都合の付く旧メンバーが葬儀に参加した。

 棺に納められた倉島さんは2年前と何ら変わることなく、頬に入れられた綿のせいか、ふっくらしていた。

 

         イラスト寺葬儀 に対する画像結果

 

 私達は示し合わせたわけではないのに、全員着物を着て、お太鼓を上手に結んでいた。「講習が終わったら皆で着物姿で会おう」という約束は立ち消えになっていたが、倉島さんの葬儀で果たされることになった。

 倉島さんへの思いが、生きている私達をもう一度つなげてくれたのだ。

 

 みんながそれぞれに倉島さんに語りかけ、最後のお別れにつなげていく。10日間という短い期間だったが、倉島さんはみんなに何かを残していった。

 

 皆がつぶやく、「倉島さんが女性の着付け教室に参加したのは謎でしたねえ」と。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 皆には話していなかったが、講習会の終わったあと、真美は倉島さんに二度会っている。

 一回目は、自宅の近くで出会った。倉島さんは彼と同い年ぐらいの女性を連れていた。かなりきつい勾配の坂を倉島さん達は下り、私は上っていた。彼らの歩みは遅く、一歩歩いては止まり、また一歩歩いては止まる。なかなか前に進まない。

何度呼んでも気がついてくれなかったが、すれ違う時にもう一度呼ぶと、ゆっくりした動作でこちらを振り返った。

 

          イラスト散歩男女着物 に対する画像結果

 

 そして倉島さんは、

「これはこれは、お久しぶりでございます。ええと、たしか・・・」

「斉藤です。着付け教室でお世話になりました。斉藤真美です」

 

 隣にいる女性が奥さんだということはすぐに分かった。倉島さんの手が腰に据えられ、腕が添えられていた。そして女性は何よりも白地の帷子(かたびら)を美しく着こなしていた。帯はあの、紺地に白地の水玉のもので、夏の日差しの中で、彼女は透き通るように立っていた。

 が、彼女はさっきからまっすぐな目で別の方向を見ており、こっちに向き合おうとはしない。

倉島さんは、「妻はもう多くのことを理解しないのです」とつぶやいた。  

 彼女のうるんだ目は、現実とは違うどこか遠い世界を見ているように思えた。

 

         イラスト女性着物後ろ姿 に対する画像結果

 

「倉島さん、奥さんのために講習に来られてたんですか?」

 

ふだんなら不躾な質問などしないが、高揚感からか、そんな質問をしてしまった。

 

「ええ、お恥ずかしいですが、おっしゃる通りです。この人は着物を着ている時が一番いいのです。

 ずっと着物で暮らしてきた人ですから、せめて、これだけは、これまで通りにと思いまして・・・」

 

 そして、倉島は「有難うございます。今から病院へ行くのです」と言った。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 それからしばらくして、倉島さんが真美のマンションを尋ねた。風呂敷包みを抱えている。

 

「わざわざ私の家に来てくださったのですか?」

と真美。

「妻はこの度、施設に入所することになりました」

 

 風呂敷包みの中には、紺地の帯が小さくたたんであった。夏に雪を降らしたあの帯であった。

 

「施設では着物を着ることはありませんから。斉藤さんがほめてくださったから」

「さみしくなりますね」

「いえいえ、少しはさみしくなるでしょうが、どこにいても変わらないものですよ」

 

 倉島さんは誰かといっしょに暮らすことが似合っている。

 

 翌年真美は、「奥様も亡くなられたそうだよ、今年の春」と聞いた。真美は、いただいた帯を倉島さんの棺に置いた。

 

 着付け教室みんなの倉島さんへの最後の言葉は「さようなら」ではなく、「ありがとう」だった。