小林武彦氏は、生物学者で、東京大学定量生命科学研究所教授である。著作に、『生物はなぜ死ぬのか』『なぜヒトだけが老いるのか』などがある。週刊文春(2023年7月27日号)掲載の「阿川佐和子のこの人に会いたい」で、小林氏の「シニア」というものに対する考え方の一部を知ることができる。
★「なぜヒトだけが老いるのか」という質問に対して、小林さんは次のように答えている。
一つには集団で暮らすようになったから。
そうなると、知識や経験が豊富なシニアが、まとめ役としていたほうが有利になる。集団が繁栄して大きくなると余裕が生まれ、さらにシニアの居場所が確保される。こうして寿命延長の「正」のスパイラルが起きたのではないか。
ホモサピエンス(知性を持った人間)が生き残ったのは、集団の規模が大きかったから。その圧倒的な組織力で他を滅ぼしたとも言われている。その大きな組織をまとめていたのは、シニアだったと考えられる。
年長者は年の功で多くの経験があるからこそ、バランスを取ってうまく集団の輪を保つことができる。だから、シニアは社会にとって重要な存在である。
★そもそも「シニアとは?」という質問に対して、小林さんはこのように答えている。
年齢に関係なく、知識や経験が豊富で、利他的で公共的な精神を持っているような人のことを言う。そういう人々が今の人類の繁栄を築いてきた。
歳をとっていても、利己的で自分の既得権だけを守り続けている人は、シニアでも何でもなく、単なる迷惑な人である。死に意味があるように、年をとることにも意味がある。
シニアが増えないと、日本の未来は暗くなる。単に高齢者ばかりが増えていくと、社会のバランスも悪くなる。
一番いいのは、シニアの人がしっかり社会に組み込まれて、公共のためにも仕事をすることである。人間のシニアも社会から遠ざけず、働きたい人は働けるようにしたらいい。定年なんかやめてくれ、と思う。
定年制は、労働人口が増えている時代はいい点もなくはないけど、現代のように労働力が減っている時代ではいかがなものかと思う。
日本は年齢差別が強いから、年をとると雇ってもらいにくくなる。日本は高齢者資源が豊富なんだから、無駄にしてはもったいない。
「シニアに冷たい社会」というのは、若者にとっても実は生きにくい。
世の中にはいろんな人がいるから、バランスがとれている。若い人も将来、歳をとるし、いつケガや病気で働けなくなるか分からない。だから本当は多様な人がいるほうが安心なのである。
シニアは社会を安定させて、若者がクリエイティブに生き、楽しんで子育てできるような環境を作るという、重要なミッションを背負っていると思う。
★「なぜ年をとると、人間は幸福感で満たされるようになるのか?」
小林さんはこのように答えている。
スウェーデンや日本で、85歳以上の超高齢者を対象にアンケート調査をしたところ、幸福感に満たされていたり、自己肯定的で他者に対して尊敬の念を抱いていたり、宇宙や自然とつながりを強く感じている方が多いという結果が出た。これを「老齢的超越」と呼んでいる。
人間は反省が大好きである。「反省する猿」であるがゆえ進歩してきた生き物で、反省することで将来に向けて行動を改善することができる。
でも、超高齢者になって、やりたいことを全部やったら、もういつ死んでもいいという心境になる。成長はもう必要なく、反省することも減っていくだろう。だから自分や他人、すべてに対して肯定的になる。後悔も反省もない、ある種一番の幸福感とも言える幸せな気分に包まれて、死をも恐れなくなる。
死が怖いという人は、「周りに迷惑かけちゃうな」とか、「パートナーや子供が悲しむな」とか、死んだら困ることがあるから、死への恐怖を感じてしまう。
ただ一定以上年を重ねると、そういった心配が減り、ある意味楽になるのかなと思う。
★「「超越」ってどうやったらできるのでしょう?」
かなえたいことやミッションがあるうちは、「超越」は難しいだろう。
調査では「超越」できるのは、85歳以上という結果だったが、本当はもう少し上の年齢かもしれない。そして、「超越」する前が実は一番辛い時でもある。
がんや認知症など病気にかかったり、パートナーに先立たれたり、もう大変な時期になる。75歳から85歳ぐらいまでの一番キツイ時期を、今まで蓄えてきたすべての人的財産を駆使しながら乗り越えなきゃいけない。
ただそこを乗り越えたあとには、「超越」が待っている、と考えて生きるのはどうだろうか?
最後は宇宙や自然とのつながりを感じながら、幸福感に満たされて、もと来た場所に戻る気持ちで・・・。