90)シニアからシニアへ(追い求める)

障害者の女性アスリートが言った言葉を噛みしめている。

インタビュアーの「オリンピックを狙っていますか」という質問に対して、

 

「もちろん出られたらいいとは思いますが、今までの自分の記録を少しでも上げられればいいと思っています。前よりも良い記録を出すこと、それを追い求めています」

 

「追い求める」、この言葉が彼女の人生の目標であるような言い方だった。体に障害を持つために、アスリートとしてもかなりの体調の浮き沈みがあったにちがいない。いくつかの挫折感を味わいながら、しかし、彼女は過去の自分より、ちょっとでも上の自分を目指して、人生を歩んできた。

その時私は思った。人は常に何かを追い求めている。「追い求める」ことが「生きる」ということなのではないか。

シニア(年寄り)になっても、もし、追い求める何かがあれば、生きがいを持って生きられるのではないか。

 

赤ん坊は母親のおっぱいを求め、子供は両親の愛情を求めて生きる。そして、少し大きくなると友達を求める。思春期・青年期には異性を求め、変わらない愛情と、家庭という居場所を求め始める。職場では仕事の中にやりがいを求めようとし、また、他人から認められたいと思い、昇進を追い求める。

しかし、人は安定した地位が得られると、そのころには定年退職となり、社会的な活躍からは一歩引くことになる。

退職して、つまり、60、70歳になってから、私達が追い求めるものは何なのだろうか。現役時代の仕事で得たものを、組織を離れても掘り下げていくことのできる人は幸せである。そういう人は、現役中も、退職してからも、生涯をかけて一つの事柄を深めることができる運のいい人達だ。

しかし、シニア(年寄り)になってから、何を生きがいにしていけばいいか、何を追い求めればいいか、戸惑っている人達も多い。

追い求めるものは何であってもいいと思う。知り合いの奥さんは羽生結弦の大ファンで、彼のフィギュアスケートのショーの追っかけをしているという。これも「追い求める」と言えるだろう。親の介護をしていた男性が、介護の途中もっと真剣に介護を研究したいと介護資格を取ったという。これも「追い求める」ことの結果だろう。

 

「追い求める」ということを、難しく、深刻に考える必要はない。日常生活で何か引っかかったことを、インターネットや辞書や書物でちょっと探ってみるだけでもいいと思う。紅茶を飲む。これはダージリン、それともアールグレイ? インターネットでも検索すれば紅茶の種類や生産国や、おいしい入れ方ぐらいはすぐ知ることができる。紅茶と日本茶の違いは? 紅茶と中国茶との違いは? それも調べていけばある程度の答えは得られるはずだ。

絵本? 絵本は普通子どものためのものであるが、今は大人の絵本もある。子供の絵本にも、「絵のない絵本」もあれば「文字のない絵本」もある。アンデルセンやグリムの名前は知っているが、実際はどこの国の童話か? 昔話絵本と創作絵本とはどう違う? いろいろ追及することができる。

何か分からないことがあったら、何か興味惹かれることがあったら、それを自分の中で大事にして、まず自分で調べてみる。スマホが手っ取り早いだろう。そして、その事柄に関連して、その事柄の歴史背景やエピソードなど、ちょっとでも関係のあることを調べていく。

絵本の延長で言えば、「ハーメルンの笛吹き男」というグリム童話は多くの人が知っているが、絵本の背景として町中の子供がいなくなったという実際の逸話と結び付いている。

そういうことも調べていくと、少しずつ興味の幅が広がっていく。

災害国日本だが、洪水のあった町村や川がどこにあるか、名前の読み方はどうか、どんなところなのか、洪水の前はどんなところだったのか、なども調べてみると興味深い。

将棋界の人気者、藤井壮太さんのことを調べていくのも面白い。小さいときはどんな子供だったのか。親の教育はどうだったのか。将棋のことは全く知らないけど、藤井壮太さんを理解するために、駒の動かし方だけでも勉強してみようか。

相撲が好きだが、外国人力士は現在何人いるのか。モンゴル人だけでも何人になるのか。彼らはどういうルートで日本に来たのか。日本へ来てどのくらいになるのか。日本語はどうやって勉強しているのか。

この間元事務次官の老人が自動車運転で死亡事故を起こしたが、彼はどんな人間なのか。

京都アニメーションの放火殺人犯は、自分の作品が盗作されたから放火したと言っているが、実際はどういう経緯なのか。京都アニメーションというところで若者達は実際にどんな仕事をしていたのか。それを日本のアニメ界につなげてみるのも面白い。現在のアニメの作り方は何が主流なのか、手書きかパソコンか。また、日本のアニメ界の労働条件はどうなのか・・・。

何にでも疑問や興味を持って、自分の力で、または子供や孫に聞いたりして、関連することを調べていく。そして、興味のある方向に広げていく。深めていく。

面白くないと思ったら、取り上げるテーマを変えればよい。

 

「追い求める」ということが「生きがい」につながるというのは、私の漠然とした確信であるが、まずこういうような身近な小さいところから、「追い求め」てみるのはどうだろうか。

「追い求める」ということを、自分に課してみてはいかがだろうか。

まずやってみる。そして、それを繰り返してみる。少なくとも毎日が以前よりは楽しくなるのではないだろうか。