70)「読み聞かせ」デビュー②

「読み聞かせ」の2回目は、3か月後の5年生のクラスであった。落語絵本を続けることは決めていたが、1回目でその難しさを知ったので、比較的ストーリーのわかりやすい「まんじゅうこわい」を選んだ。仲間の小坊主の一人が本当はまんじゅうが大好きなのに、「まんじゅうが嫌いだ、こわい」と言って仲間をだまして、まんじゅうをせしめるお話しである。

生徒の前に立つのが2度目であったせいか、前回よりもやや落ち着いていられた。最初の2ページほどは上ずっていたが、読みに集中することで早めに自分のペースに戻れた。何よりストーリーがわかりやすく、面白いのが大きかったと思う。

女性教師の多い小学校で珍しく男性先生であった。この先生は読み聞かせのあとで生徒に感想を言わせる。2人の生徒が「落語に落ちがあることを知りました」と言ったので、前回よりは落語の何たるかを伝えることができたように思った。男性先生が、ドアのところまで送ってくださり、「今丁度パソコンで「まんじゅうこわい」を打ち込んでいたところなんです。教材に使いたいと思って」とおっしゃった。

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秋になって10月に担当したのは1年生のクラスだった。手持ちにやさしい絵本があまりなかったが、以前Bookoffで買っておいた「おかあさんとぼく」(作者いもとやすこ)を使用した。子熊がお母さんと離れて暮らしていて、ある日お母さんのうちに帰ったところ、玄関にたくさんの靴が並んでいた。お客さんが来ているのかとちょっとさびしくなったが、その靴はすべて子熊が赤ちゃんのときから使っていた靴であった。母親の愛の深さを感じるというストーリーである。

1年生はいい。全員よそ見をしないで目を輝かせて聞き入っている。絵本を覗き込もうとする子もいた。読み終わると、1人の男の子が手を上げた。

「こぐまがうちに帰ってきたとき、くつが並べてあった。そのとき、しばらくお母さんが出てこなかったけど、こぐまが久しぶりに帰ってくるのだから、お母さんが一番に玄関に迎えに来るはずではないか。どうしてすぐに玄関に出てこなかったのか?」

質問されることはうれしいことである。子供がしっかり聞いていたということだから。なるほどなあ、子供は子供なりに考えているんだなあと感じ入った。

11月は3年生、1月は2年生の担当である。

私は子供のころ、芥川龍之介の「くもの糸」をラジオで聞いて、重々しい読み方と、おどろおどろしいストーリーに痛く衝撃を受けた。主人公の「かんだた」という名前や、出だしの「ある日のことでございます。お釈迦様は・・・」など、何10年経った今でもよく覚えている。印象深い物語だったので、「読み聞かせ」で読んでみたいと思っていた。

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ネット通販で取り寄せたら、本より大きめの紙芝居が送られてきた。紙芝居形式になっていたが、色調も淡く、絵も上品に描かれていた。

「くもの糸」がどの学年にふさわしいかは難しい問題である。どの学年でも、例えば1年生でも6年生でも、それなりの意味はあるだろう。結局は3年生で試すことにした。

クラスで「今日は芥川龍之介の「くもの糸」をします」と言ったとき、子供達の間から「知ってる」とか「あー」という声が聞かれた。よく聞くと、国語の教科書の文学作品の紹介文の中に、名前と本の題名が載っていたということであった。

「くもの糸は」はさすがに上がることなく、落ち着いて読めた。ゆっくりと適切にポーズをとって、感情も過多にはならずに、しかし、十分感情が伝わるように読めた。

子供達は静かに聞いていた。紙芝居を真剣に見ていた。彼らが興味を持っているのが、こちらにも伝わってきた。

次の12月は2年生の担当であった。今回も「くもの糸」を取り上げた。

3年生には十分理解できたようだったので、1学年下の2年生ではどうかを試してみたい気持ちがあった。

読み始めてすぐ、子供達が真剣に紙芝居を見ているのが伝わってきた。3年生のときと異なる反応は、彼らの中から「こわ~い」「かわいそう」などの感情の言葉が出てきたことだった。3年生はこわくても「こわい」などとは言わなかった。自分の胸で我慢して消化させていた。しかし、2年生は違う。感じたことをすぐ言葉として発する。

3年生と2年生は1つしか歳があいていないのに、こんなに差があるのだ。2年生は感情をすぐ外に出す、まだ子供の領域におり、3年生は感情をそのまま出さない大人の領域に入ろうとしているのではないかと思った。

年が明けて1月は6年1組であった。前回は6年2組で失敗している。6年生はかなりの大人で、「絵本の読み聞かせ」はやさしすぎるきらいがある。よほど内容を選ばないと、彼らは退屈してしまうだろう。

6年生を満足させるのに、社会問題を取り上げてみようかと考えた。以前他のメンバーから、原爆の話を取り上げたら(もちろん、絵本や物語になっているので、政治的なイデオロギーや主張はほとんどない。1冊を通して、やんわりと、戦争は残酷だ、平和を大切にしようというメッセージが届けられる程度だが)、担任の先生が追いかけてきて、「今日はよい話をありがとうございました」とおっしゃったという話を聞いたからだ。

図書館へ行っていろいろ探していたら、「ベトちゃんドクちゃんからの手紙」という絵本があった。ベトナム戦争で、アメリカの撒いた枯葉剤で生まれた下半身のつながった結合双生児の話である。イデオロギー的なところはほとんどなく、日本人に助けられて日本で治療したことが話の中心になっている。アメリカを非難する文もあるが、政治的過ぎるところは読まないように工夫した。

ベトチャンドクちゃんは私の年代では忘れられない出来事ではあるが、6年の生徒達からは特に強い反応はなかった。

 

「読み聞かせ」が終わると、学校の一室で反省会がある。その日に読んだ絵本などの紹介と、そこでの子供達の反応、担当者の感想や反省を述べる2、30分ほどのミーティングである。

私が「ベトちゃんドクちゃんからの手紙」を取り上げたことに対して直接の批判はなかったが、会の代表のメンバーが「私は先輩から、政治的なものは「読み聞かせ」に使わないほうがいいと言われたことがある」と言われた。私はベトちゃんドクちゃんを、政治的というより人道的観点から取り上げたいと思っていたが、政治と子供への「読み聞かせ」については、もう少し考えなければならないと考えている。

2月は5年2組では「星空のゴッホ」を選んだ。以前有隣堂に絵本を見に行ったとき買っておいた一冊である。自分が絵画が好きなせいもあるが、子供達に絵画のことも知ってほしいという気持ちがあった。ゴッホが星空に取りつかれるような子供時代を経験し、それが傑作「星月夜」を生んだ。

読み聞かせる前に、ゴッホの自画像の写真や、「ひまわり」の絵のコピーも準備したが、生徒たちがどの程度興味を持ったか、この本が適切であったかどうかはよくわからなかった。

 

この1年間の読み聞かせには2冊目の小さな絵本「おおきくなるっていうことは」(文中川ひろたか、絵村上康成)も用意していた。メインの本が終わると2、3分しか残らないが、先生の許可を得て、読んだ。この本は「大きくなるっていうことは」という問いかけがあり、答えとして「水に顔を長くつけられるってこと」とか「自分より小さな人が大きくなるってこと」などがある。哲学的な答えもあり、「高いところから飛び降りられるってこと」の次のページでは、「飛び降りても大丈夫かどうか考えられるってことも・・・」というようなことも書かれている。私はこの本を2冊目として全学年に読み聞かせた。低学年には私が読んだところを繰り返させ、中学年では生徒に質問させて私が答え、高学年では生徒に私が質問して生徒が答えるというようなやり方をした。大声で問答をするので、クラスが元気に明るくなった。

 

小学生への「読み聞かせ」が今後の自分のやりがいにつながっていくかどうかはわからない。しかし、生きた子供を相手に「読み聞かせ」をすることは、緊張感と同時に、満足感の大きい作業である。何より、生きた子供達の、生きた反応に接することができることに、何ものにも代えがたい喜びを感じている。