小平陽一氏は妻の出産後、化学の先生から家庭科の先生へ転身された方である。
1950年栃木県生まれ。武蔵大学根津化学研究所を経て、1976年に埼玉県県立高校の教員として採用される。化学教師として18年間勤めたのち、家庭科の教員免許を取得。
男女共修となった高校家庭科を16年間教えてきた。
出産後、小平先生の奥さんが仕事に復帰したがった。夫である小平先生のほうが勤務地が近かったので、積極的に家事に携わるようになった。
そのころは、男性が保育園で子供を迎え、スーパーで子連れで買物する姿はほとんどなかった。
自然界のなぜを追求し、生活に役立つ化学。大学時代から環境問題に興味があった。化学の授業で豆腐や石鹸を作ったり、山へ行って山菜を採ってきて、天ぷらにしたりした。
教員になるまでは家庭科の存在を忘れていた。
そのころ、市民運動として男女家庭科を進める運動があった。新しい男女共用の家庭科の教科書の作成を頼まれた。
44歳で、もう一度大学で学び直す。そして、家庭科の教員免許を得て、家庭科の教師としてデビューする。
当日、授業のため教室に入ったら、生徒たちが言った。
「先生、今日、家庭科は自習なの?」
男の先生が来たから、生徒達は家庭科が自習なのかと思ったようだ。
「違うよ。僕が家庭科の先生だよ」
教室がどよめく。そこには、少なくとも歓迎されているような空気感があった。
16年間家庭科の授業をやった。
「化学と家庭科の違いは?」と聞かれることがある。
答えに戸惑ったけど、化学は答えが1つ、試験も〇か×か、正解が出せる。家庭科は答えがいくつもある。
化学は1つの真実を見つけるために、「自然界のなぜ?」を追及していくが、家庭科のほうは感性とか感覚とか、あるいは、共に生きる共生とか、総合性とかを重視する。
家庭科には柔軟性がある。
小平先生は家庭科は料理・裁縫というより、自分で生き方を考える教科だと思った。自分にとって、幸せとは何か、家族とは何か、夫婦とは、人生とは、自分らしさとは?
正解はいくつもある。
家庭科は、生徒自身が正解を自分で見つけ出す、授業として考え続ける教科だと小平先生は考える。
小平先生はまた、家庭科という名称が今の時代には合っていないと思っていた。
高校3年生に教えた。人間生活科と呼ぶのはどうか。
長寿社会における変化、例えば働き方、多様化という価値観の変化、ジェンダーの問題、エイジレス。
年齢もあまり関係ない。そういう時代であることを知って、自分がどんな暮らしをして、どんな家族を作って、どんな幸せを作るか、最終的にはどう自分らしく生きていくか、こういうことを授業を通して考えてほしいと思った。
小平先生は、現在、埼玉県狭山市の市民大学で教えている。受講生は70代、80代、90代もいる。
この長生きする時代にどう生きていったらいいか、日々をどう過ごすか、これが大切かなと思っている。
でも、家族がだんだん小さくなってきて、シングルとして生きている人も増えてきている。今までは家庭が基本に考えてられていたが、今は個人の時代になりつつあるような気がする。
今のように長寿社会になると、どちらかがポキっと折れると、両方が倒れてしまう。
だから、これからの時代はそれぞれが自立できる力を持つ必要がある。
その自立した子供同士が助け合って関係性を作っていく、そういう考え方が必要じゃないかと、小平先生は思っている。