それは、NHKアナウンサー和久田麻由子の朗読、角田光代『さがしもの』であった。和久田アナは、朝7時のニュース、夜9時のニュースなどを担当していたが、妊娠したとかで、今はそれらの番組から離れている。
アナウンサーには朗読の上手い人が多いが、彼女もプロはだしである。おばあさんのしゃがれた声もうまいし、孫娘の若い声も生き生きして臨場感がある。
角田光代の「さがしもの」は単行本にもなっている。
短く短くあらすじを言うと、次のようである。
入院しているおばさんは命いくばくもない。そのおばあさんが14歳の孫娘に頼む。
「この本を買ってきてちょうだい」
おばあさんがメモに書いた著者と本のタイトルを、孫娘は聞いたこともなかった。また、タイトルと著者の名前が、正しいのか間違っているのかさえ疑うような、よぼよぼの字で書かれていた。
孫娘はおばあちゃんのために、まずは近くの書店に行ってみるが、ない。
だんだん足を伸ばして、バスに乗ったり電車に乗ったりして、大きい書店も探すが、どこにもその本はない。
孫娘には本探しが日課となってくる。おばあちゃんは本が見つからないまでは死に切れないと言う。
ある時本屋の店主から、「その本は絶版になっているんじゃないか」と言われる。
今のようにコンピュータで検索できる時代ではなかった。
本が探し出せないまま、おばあちゃんは亡くなってしまう。
物語ではおばあちゃんは幽霊になって出てきて、孫娘に「本はまだ見つからないのか?」と責めたり、「こわいのは死ぬことではなくて、死ぬことを想像することだ」(こわいのはそれそのものではなく、それを思う、想像することがこわいのだ)というようなことを言ったりする。
おばあちゃんが死んでも、孫娘は本を探し続けた。かなり経ったある時、大学の本屋で平積みなっている、まさに探している本を見つける。
その本には「待望の再登場‼」「再出版実現!」というようなメッセージが乗っかっていた。
その本には、古い時代の一軒の食堂のことが描かれ、そこに登場する「食堂の娘」というのがおばあちゃんらしい。
孫娘は本を3冊買った。1冊は仏壇に、1冊は本棚に、そして、もう1冊はおばあちゃんがいつでも読めるように、机の上に広げて置いてある。
孫娘は大学を卒業して、皆が大きな会社に就職したがるのを尻目に、アルバイト料にちょっと足したような給料の、小さな書店に就職する。
そこでの彼女の仕事は、客の求める本を探したり、相談に乗ったり、コンピュータで検索したりして、必ず、客の探している本を見つけるというものであった。上司が付けた名札には「ブック・コンセルジュ」と書かれている。
朗読を聞いてのかなり早い段階から、孫娘はきっと本屋に勤めるんだろうなという予感がした。
元々はおばあちゃんの、絶版になった、古い古い本を探せというわがままから、本探しが始まった。そして、おばあちゃんには他意はなかったかもしれないが、おばあちゃんが生きている間、そして、亡くなっても本屋を探し続け、本屋巡りをしたということそれ自体が、孫娘の人生に大きく影響を与えたはずである。
誰も積極的には意図しなかった巡り合わせが、孫娘の仕事、考え方、生き方に影響を与え、人生を決めていった。
私はそこに人生の不思議、おばあちゃんと孫娘の関係(宿命)、生きるということ、生きる目的というようなものが描かれているような気がした。