69)「読み聞かせ」デビュー①

1年ほど前から市のボランティア活動で小学生に対する「読み聞かせ」をしている。絵本の「読み聞かせ」が中心だが、高学年には絵本ではなく物語を暗記して語ることもある。

近所のTさんがずっと前からやっておられて、Tさんの姿を見るたびに自分も参加したいと思ってきた。言い出す勇気が出なかったので、長い月日が経ってしまったが、1年前ゴミ出しで出会ったとき、Tさんが「どう、やりませんか」と言ってくれた。

活動に参加して、一番の誤算は、私は子供たちへの読み聞かせを「表現活動」の一つとして捉えていたが、ここでは「ボランティア活動」の一つとして捉えられていることである。私の住む△△市のボランティア活動の中心となっているのが図書館や小学校での「読み聞かせ」であった。

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私は小さいときから演劇が好きで、弟相手に「わらわは嫌じゃ!」とお姫様を演じて廊下の手すりから庭に転び落ちたり、高校時代も大学時代も、期間は短かったが演劇部に所属したりしていた。私は「読み聞かせ」イコール「表現」と捉えていたので、相手が小学生であれ小さい子供であれ、市原悦子の「日本昔話」のように登場人物になり切って、感情を注入して演じるものだと思い込んでいた。

新年度が始まる前に、2度ほど先輩メンバーの「読み聞かせ」を参観させてもらった。小学校での「読み聞かせ」は月に1度、授業開始前のホームルームの時間(午前8時15分から8時30分までの15分間)を使って行われる。

教室の椅子や机は後ろのほうに片づけられ、前の空いたところに生徒達が「体育座り」(抱え膝座り)で座っている。大体25人前後。

担任の先生の指示で、生徒達は一斉に立ち上がり、「おはようございます」と挨拶をする。読み手は彼らの前に立ち、または、座り、準備してきた絵本を生徒に見えるように広げて、読み始める。15分なので、2冊ぐらいは読める。1冊をメインにして、もう1冊は軽めの短いものを選ぶことが多い。

見学の最初のクラスは6年生だった。6年生になると、生徒たちの体も大きくなっている。彼らは初めのうちは皆神妙に聞いていたが、途中から何人かが退屈し始める。頭が揺らいだり、隣の子と私語をはさむ子も出てくる。しかし、15分間なのでそれ以上は何事も起こらず、最後には皆が一斉に立ち上がって、「ありがとうございました」と言って終わる。

翌月の2回目の見学は1年生のクラスだった。可愛らしく、人なつっこい空気が漂ってくる。しかし、読み手のUさんはかなりのスピードで、どんどん読んでいく。淡々と、時々口調を変えたり、速度を落としたりする。私は読むスピードが速いように思ったが、生徒たちはよく付いていっている。無駄話をする子供はいないし、全員が熱心に、興味を示しながら聞いているように思えた。

1年生で、あれだけのスピードで、特に感情を大げさに入れるのでなく、それでいて、子供たちが熱心に聞き入っている。低学年でも結構聞く力、理解力があるんだなという感じがした。前回の6年生の生徒達が何人か退屈そうにしていたのは、もしかしたらやさしすぎたのかもしれないとも思えた。

2つの参観で思ったことは、「読み聞かせ」は演劇のように大げさにやるのではないということであった。淡々と、要所要所に起伏をつけていくだけでいいのだということを教わったような気がした。

市原悦子を目指していた私には、演技をしないで淡々と読み聞かせるなんて、想像しなかったことだ。目標を失ったような気がしないでもなかった。

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 新年度の担当表が渡される。クラスの担当はすでに決められているが、そこで何を読むかは読み手に任されている。学校からは読むべき本について一切の干渉はない。

したがって、読み手にとってどんな本を選ぶかが大きな問題になってくる。

私は単に思い付きの本を選ぶのではなくて、日本の文化を子供達に伝えるような本を選びたいと思っていた。そのころ私の周りでは、外国人留学生の日本語教育に落語を取り入れてはどうかというような話が起こっていた。それに影響されたこともあって、私は子供達に落語を聞かせたいと思うようになった。

私の住む市には比較的規模の大きい図書館があり、地下一階は丸ごと子供のための児童書や絵本が並べられている。読み手のメンバー達は図書館を利用して本を選ぶ。私はすぐに疲れてしまうので、ネット通販を利用して絵本を注文することが多い。お金はかかるが、次の日には希望の図書が送られてくるので便利ではある。

私の「読み聞かせ」デビューは4月の6年生のクラスであった。ネット通販で川端誠の『落語絵本厳選セット』を取り寄せた。「まんじゅうこわい」「ときそば」「じゅげむ」など計7冊がセットになっている。子供対象の絵本だからと高をくくっていたが、2、3冊目を通して、意外に難しいのに気がついた。まず江戸時代の話が主なので、使われている単語や、人・物の呼び方が難しい。比較的ポピュラーな「まんじゅうこわい」でも、「いせいのいい(威勢のいい)」「わかいもん(若いもん)」「ひざをのりだす(膝を乗り出す)」「いいっこなし(言いっこなし)」「わめく」「わらいをこらえる(笑いをこらえる)などの単語が出てくる。一方、有名な「ときそば」は、ストーリーが面白いので取り上げたかったが、時刻の数え方(子の刻など)からして今とは異なる。また、落語に共通する「落ち」を子供達にどう理解し、おかしさを感じさせるかも難しい。

6年生だし、自分自身も好きな話だったので、「目黒のさんま」に決めた。「目黒のさんま」のストーリーは、殿様が狩りに出かけ、そこで食べた下魚の「さんま」をいたく気に入る。近くの農民が直火で焼き上げただけのものだが、そのおいしさが忘れられない。しかし、お城に帰って家来に所望した「さんま」は、丁寧に調理されており、わざわざ脂も除かれ、殿さまにとってはまずい代物であった。そのとき、家来の気遣いを知らない殿様が、「さんまは目黒にかぎる」と言ったことが落語の落ちになる。

「目黒のさんま」に出てきて、小学生には難しそうな単語は次のようである。

「野がけ」「三太夫」「下魚」「はしり」「消し炭」「美味なるものじゃのう」「かわりをもて」「余」「お毒見役」「思いがつのる」「仰せのとおり」「三枚におろす」「待ちかねた」など。

当日は何枚かのカードを作り、「落語」というものについて、落語には「落ち」があること、古い言葉が出てくるが想像しながら聞いてほしい、というようなことを最初に説明した。

私は長年留学生を相手に授業をしてきた。学生数が何十人になることもあった。若いころはドキドキしたが、経験を重ねるうちにドキドキしたり、上がることはほとんどなくなった。「読み聞かせ」の対象は小学生である。それも230人程度で、自分では絶対に上がらない自信があった。ところが当日彼らの前に立ったとき、急にドキドキし始めた。絵本を開いて読み出したときに、声が上ずって仕方がなかった。

「落ち着いて、落ち着いて」と自分に言い聞かせ、練習してきたときように、ゆっくり、はっきり感情を込めて読もうとしたが、どうしても胸のドキドキと声の上ずりを抑えることができなかった。40年以上留学生の前で授業してきたのに、これは何だ?

ようやく落ち着いてきたのは、後半になってからであった。

子供達の真剣なまなざしに圧倒されたのか、しばらくブランクがあったためなのか?

結果的には、クラスが盛り上がるところまでは行かなかった。私自身が「目黒のさんま」の本当の面白さがわかっていなかったこともあろう。

生徒達に「目黒のさんま」の面白さが伝わらないまま、私の「読み聞かせ」デビューは終わった。(つづく)