皆さん、こんにちは。
突然ですが、次の会話1~3に出てくる「これ(このりんご)」「それ(そのりんご)」「あれ(あのりんご)」は今どこにあるか考えてください。
話し手の女の子の名前は「スミレさん」、男の名前は「壮太君」です。
1.これ(このりんご)はおいしいよ。
2.それ(そのりんご)はおいしい?
3.あれ(あのりんご)はおいしいかしら?
1では、「りんご」は話し手の「すみれちゃん」が持っています。
2で「りんご」は「すみれちゃん」の手を離れ、聞き手の「壮太君」に移っています。3では、「りんご」は「すみれちゃん」「壮太君」両方の手を離れ、2人から遠いところにあります。
この「これ・それ・あれ」「この~・その~・あの~」などは、文法では指示語・指示詞とか、「こ・そ・あ」と呼ばれ、「物・人・こと」を指し示す働きがあります。
「こ・そ・あ」は、基本的には、そのものが話し手側に属する(話し手の領域にある)か、聞き手側に属する(聞き手の領域にある)か、両方から離れているかによって、使い分けられます。
では、ちょっと話が変わりますが、皆さん、「この世」「その世」「あの世」はどうですか。
はい、そうです。今皆さんが住んでいる「この世」、そして、ご先祖様が住んでいる「あの世」です。
皆さんは「この世・あの世」は聞いたことはあるが、「その世」は聞いたことがない、「その世」なんて言葉はないと思われるのではありませんか?
「この世」は我々(話し手)が住んでいる、我々の領域にある世界、「あの世」は話し手からも聞き手からも遠い世界、例えば「死の世界」になりますね。
では、「その世」とは?
ところが、詩人谷川俊太郎が次のような詩を作っているのです。
彼は詩の中で「その世」という言葉を用い、それが小さな議論を引き起こしているようです。(『その世とこの世』2023/11/23 谷川俊太郎・ブレイディみかこ (対談・共著))
ひとまず谷川氏の詩を紹介します。
その世
この世とあの世のあわいに
その世はある
騒々しいこの世と違って
その世は静かだが
あの世の沈黙に
与していない
風音や波音
雨音や密かな睦言(むつごと)
そして音楽が
この星の大気に恵まれて
耳を受胎し
その世を統(す)べている
とどまることができない
その世の束の間に
人はこの世を忘れ
知らないあの世を懐かしむ
この世の記憶が
木霊(こだま)のようにかすかに残るそこで
ヒトは見ない触らない ただ
聴くだけ
対談相手のブレイディみかこさんは、「その世」をsomewhere betweenと訳しています。今住んでいる「この世」ではなく、また人が死んだら行く「あの世」でもない、「この世」と「あの世」の間に「その世」があると谷川さんは考えているようです。
「その世」はどこにあるのか?「その世」は簡単には説明できないけれども、「詩」がいる場所は「その世」だという。
歎異抄の「浄土」というのはどこを指すか?「この世」でも「あの世」でもない世。「この世」と「あの世」の中間にある想像の世界・・・。
非常に難しくて、私には説明ができないのですが、「詩の世界」「想像の世界」「空想の世界」「夢の世界」とでも言えばいいのでしょうか。
では、「何かに夢中になっている世界」「自分を忘れている世界」も「その世」になるのでしょうか?
日本語としては「指示語こ・そ・あ」を使った「その世」という言葉は使われないけれど、しかし、詩人は「その世」があると考えている。そんなところに興味を持って、今回「日本語ものがたり」に取り上げた次第です。