町田康という作家をご存じだろうか。
芥川賞や野間文芸賞など多数の賞を得て、現在では純文学小説を書くかたわら、選考委員などを務めている。「まちだやすし」が本名らしいが、「まちだこう」と呼ばれることが多い。
町田康の話を聞いていると、彼がいかに破天荒な人かがわかる。
まず、話し方である。大阪の堺出身ということで、まず言葉が大阪弁。講演会であろうが、私的な対話であろうが、大阪弁丸出しである。
昔一度話を聞いたことがあったが、だらだら、ふわふわした話の進め方で、内容がよくつかめなかった。それ以降は「町田康」は分かりにくい作家として敬遠していた。
ところがNHKが「カルチャーラジオ 文学の世界」として町田康の15回の講演を企画した。私もひところよりは我慢強くなったし、町田康の何たるかを探ってみたいとも思い、講演を聞いてみた。
町田康は、作家であるとともに、ミュージシャンである。バンドを組んで小さな場所であるらしいが、ギターを弾いたりヴォーカルをやったりしているらしい。
今回は15回講演シリーズの中の「詩人として~詩の言葉とは何か~」を取り上げ、町田康が詩をどう考えているかの一部をご紹介する。以下、彼の話を下敷きにして進める。
人間の中には「理屈と感情」という2つのものがある。詩とは「感情」の働きを言葉にしたもので、「理」や「ことわり」は詩にならない。
「わかる」という言葉がある。「わかる」とは「共感する」こと、「理解する」こと。「わかる・わからん(=わからない)」を組み合わせると、4種類ある。
1.「わかるから、わかる。」
これは、理屈としてわかること。例えば、俳句がそうで、「五月雨を集めて早し最上川」という俳句は言われてみたらほんまや、その風景が実際にわかるから、俳句もわかる。
2.「わからんけど、わかる。」
これが詩。何でそうなっているかわからないが、何となくわかる。感情でわかる。感情が動いたら、理屈はどうでもよくなる。歌、短歌には感情が流れている。「わからんけど、わかる」。これが本当の詩である。
3.「わかるけど、わからん。」
理屈ではそうだけど、感情ではわからん。登場人物がご都合主義であったり、説明が理論的すぎたりして、わかるようで、本当のところはわからん。
4.「わからんから、わからん。」
自分(町田)は、「お前の言うてること、わからん」「何言うてるかわからん」、そして、最後に「わからんから、わからん」と、ずっと言われてきた。純文学や現代詩では、さっぱりわからんということがしょっちゅうある。
町田氏は「わかる」「わからん(わからない)」の組み合わせを4つしか挙げなかったが、私は4つの中で、「わからん(わからない)けど、わかる」というのが、よくわかった。
ここに有名な「金子いすず」の詩がある。まずは読んでみてください。
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私と小鳥と鈴と 金子いすず
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
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この詩はわかりやすいようで、やっぱりわかりにくい。なぜ「小鳥と私」「鳴る鈴と私」を比べるんだろう? 互いが 違っている内容も曖昧で、わかりにくい。ただ、読者を、「わからないけど、何となくいいと思う」「わからないけど、好きだ」という気持ちにさせる。詩として評価される所以であろう。
では、「詩」は「わからんけど、わかる」だったら何でもいいのか? 何がおもろくて何がおもろくないか? 町田氏は、「おもいしろい詩」の条件について話す。
①感情の出し方(表出)が上手い。
(誰にでも見えるように書く。何かに上手く託したり、例えたりする。)
②「調べ」や「調子」でもっていく
(歌詞、声の調子、響きなどで詩がよく聞こえるようにする。)
③作者自身がおもろい。
(例えば、山頭火は、境遇が普通の人と違っている、特異なキャラクターの持ち主であり、波乱万丈な人生で、話していておもしろい。当然作品もおもしろい。)
④その詩の意味内容が正しい、サプリメントみたいに役に立つ。
(「人の一生は重荷を背負いて・・・」(徳川家康)のように参考になる。)
・④のように内容が正しい、役に立つというのが、詩のおもしろい条件であるというのは、私にはピンと来なかった。町田氏らしく皮肉を言っているのだろうか。
町田氏の話は、わかりにくい部分があるのだが、ぐさっと胸に突き刺さることが多い。彼の純粋なものの見方が、ファンを引き付けてやまないのであろう。