256)小百合さんと山田洋次監督

 「男はつらいよ」「幸福の白いハンカチ」を世に送り出した日本映画の巨匠、山田洋次監督。そして、「最後のスター」と呼ばれ、主演のみを受け続ける映画俳優、吉永小百合さん。92歳と78歳。映画製作の舞台裏をカメラ(2023年9月27日(水)放映)は記録してきた。

 

 NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」が放映されるのを知った時、「山田洋次監督と吉永小百合さんなんて、見なくてもいいわ。大体分かるし・・・」と私は思った。年寄りの頑固そうな山田洋次監督の言うことは大体分かっていたし、健康優良児の小百合さんには女優としての神秘さがないから、あまり見たいと思わなかった。

 

        

 

 しかし、90分のドキュメンタリーを見終わった時、「やっぱり、さすがだなあ」と思った。2人が紡いできた仕事に対する姿勢が一貫し、信念に貫かれていて、そこから来る味わいが番組には溢れていた。

 よぼよぼしながら、時に咳き込み、それで撮影が中断される。

 あそこまでやることないのになあと思わせる一方で、山田監督の細かい、一挙手一投足に対する注文や手厳しい指示は、ひとつひとつが説得力のあるものであった。

 故障を修理する電気屋さんの寺尾聡の、目の位置、視線、向き、向け方など何度も何度も指示する。

「もっと目を上げて」「もっとその物に集中して」「もう一回、もう一回」

 あんなに注文をつけられると、俳優さんも嫌になるんじゃないかと思えるぐらい、山田監督はやり直しをさせる。

 

        

 

 監督が要求しているものは詰まるところ「自然さ」なのだった。電気屋さんの目線、修理への集中度、目の動き、熱心さなどを、山田監督は、電気屋さんが自然に普通にやるように、寺尾さんにやってほしいのだ。

 小百合さんに対しても、「だめだだめだ、小百合さん、それは違うでしょう!」「もう一回、もう一回!」と厳しく注文をつける。

 足袋職人の女房役で、心に思う人の足袋をミシンで縫うシーンでも、3回も4回も撮り直しをさせていた。小百合さんはピクリとも姿勢を崩さず、同じ姿勢で同じ表情で、演技を繰り返す。ただただ、監督がOKを出すまで何度も何度も繰り返す。

 

         

 

 山田監督はともかく自然な演技を重視する。「自然」と「リアル」とは違うのだそうだ。

 いい映画作りを目指して、ただただ、いい映画を作る。自然体を目指す。

「全力を尽くして、そして、あーお腹が空いた!」と言えれば、それでいいのだと言う。

 

 山田監督と、助監督のような人とがそばで話していた。

 

吉永さんは「おばあさん」に向いていない。「ガタイ」がしっかりし過ぎている。おばあちゃんではない。宮本信子だったら、すぐにおばあちゃんになれる、というようなことを話していた。つまり、吉永さんは体が若くて、体の線が年寄り向けではないと言う。もっと年寄りっぽければ、今度の祖母役も苦労しなかっただろうにというようなことを言っている。

 吉永さんは毎日水泳をして体を鍛えているし、元々が若々しい体作りを心がけている人だ。そういえば78歳でも腰も曲がっていないし、姿勢はいいし、はつらつとしている。

 顔も若々しい。手入れの行き届いた肌は50歳台と言ってもいいだろう。吉永さんは陰のような、憂いのようなものがあまりない女優さんで、言ってみれば、健康優良児の女優さんだ。老け役を演じる時には、それがかえって邪魔になると言うのだろうか?

 

          


  山田監督が目指す目標は「自然」だ。「自然体」「自然的」「自然さ」だ。一方、小百合さんが目指す俳優像は「透明感」だそうだ。演じるのではなくて、自然にその人柄が出る、自然にその役柄の味わいが出る。作為が感じられない、まるで、透明のように演技し、振る舞い、役になり切る。

 「透明感」とはやはり「自然」ということにつながるのだろうか。

 

 山田監督の映画に対する情熱は、渥美清の「寅さん」で一貫して感じられた。もし、何でも注文をつけていいと言うなら、私は、自分の身体を賭してまで第一線で頑張るのではなく、92歳になった今は、後継者に仕事を任せていくことも大切なのではないかと思う。山田監督の意を汲む後継者は何人か育っているであろうし、そういう人達をより育てながら、どんどん任せていくというのも大御所の役目ではないかと思っている。

 吉永さんも引退する時期を考えているみたいだが、やめ時などを考えないで、小百合さんらしくはつらつとした、健康的なおばあちゃんの役をどんどんやっていけばいい。そして、世の中を明るくし、人々を元気づけてほしい。別に、「透明感」に溢れて、「自然」な演技ばかり目指さなくても、もっと自分のありのままを出して、若々しい年寄りで、生活力のある、言いたいことを言う存在になればいいと思う。