これは認知症の父親の介護をしながら、認知症の何たるかを考え抜いたジャーナリストのお話である。
彼は、父親の一言一言をノートに書き記した。父親の生き様を見つめ続けた。そして、達した結論は、「認知症患者は、世間的な約束事を忘れただけの人で、物事のとらえ方は健常者より概念的で、哲学的である」と結論付けた。
ジャーナリストの名前は、高橋秀実。彼の介護記録は、本となって出版された。タイトルは、『おやじはニーチェ』、副題は「-認知症の父と過ごした436日-」。
高橋さんはお父さんの認知症を「家父長制型認知症」と名付ける。「家父長型認知症」とは、「家事は一切しない、できない。自分の食事・お金・薬に関係することが一切できない。その反面、「プライドが高い。食事とは座ることと信じている。」ような、家父長タイプの人がかかる認知症である。
お父さんの認知症での振る舞いが、まるで昔の家父長のようだということから、この名前が付いた。
高橋さんのお父さんは、家事のことは一切できないが、相手に話を合わせることが非常にうまい。人とすぐ話を合わせることができる。
「お元気ですか?」「ええ、元気にしております。有難うございます。お宅様は?」「ああ、それはよろしいですね」など、すらすらと口をついて出てくる。
社交辞令的な対応がとても上手で、それも笑顔で言うのだから、そこだけを見ている と、誰も彼が認知症だなどとは思えない。
電話のやりとりもそうだ。
「え~え、元気にしております。お変わりございませんか。ご家族の皆さんもお元気ですか。」「先日は結構なものをいただきまして、ありがとうございました。」などなど、とうとうと話す。しどろもどろになることはない。
ただ、冷静に聞いていると、相手と交互にやりとりをしているというより、自分が一方的にしゃべって、相手に口を挟ませないというような感じがある。
一般的に言って年寄りは「とりつくろい反応」がうまい。自分が何か失敗をやらかした時、「あの時は雨が降っていた」「やろうやろうとずっと思っていた」「今から寄るところでした」など、迷うことなく、作り話ができる。
高橋さんのお父さんも、「とりつくろい」や「作り話」が上手だ。
「今日朝ご飯は何を食べたか」と聞かれると、「炊き立てのご飯と、豆腐入りの味噌汁と、焼き魚の鮭」と答える。実際に食べたものとは違う。これらは、父にとっての概念的(典型的)な朝ご飯であり、父は概念を説明しているに他ならない。
風呂についてもしかり。薪を切って、風呂のかまどに入れて、風呂を沸かすという概念的説明をする。高橋さん宅のお風呂は薪で炊く風呂ではない。
高橋さんのお父さんの介護認定段階は3。レビー小体型認知症。
認知症の人は語彙が減ってくる。
「ここはどこ?」という現実的な質問も、お父さんにとっては、「ここ」とは何かの定義から始まる。
私はある日父にコップを見せて、「これは何?」と聞いてみた。父親は一度目は「へ~」と言った。2度目は「ホ~」と言った。
脱いだ靴下が放ってあると、奥さんは怒って、「これは何!」と言う。これに対する返事は「すみません」と言って、謝ること。
この怒鳴られた「これは何!」は、コップを見せられて質問された「これは何?」とは違う。コップを見せられた「これは何?」はもっと概念的で、コップについて説明しなければならない。例えば、「飲み物を飲むために、ある程度の量を入れることのできる食器」のように。
高橋さんのお父さんは、「これは何?」と聞かれて、コップの定義や概念を答えようとする。
「ここはどこ?」の「ここ」も「今私とおまえが席を同じゅうしている場所」のように定義付けをするのが得意である。
認知症患者は「こそあど」の距離感は分かっているようだ。「これがこうして、あそこにある」のような言い方はできる。
話の内容は分からなくても距離感は分かっている。
これは面白い話だ。私たち夫婦は認知症ではないが、会話の中に「あの時のあれは、あのままでいいのね?」などと、「こそあど」が出まくっている。
「こそあど」が出てしまうのは、ものや人の名前が出てこないから「こそあど」でごまかすのかと思っていたが、私達は年をとっても「距離感」のようなものは、案外忘れていないのかもしれない。
これは高橋さんの最終的な結論であるが、認知症患者は決して物事が分からなくなった痴呆者ではない。彼らは物事の定義や概念をきちんと記憶している。ただ、彼らは、その人が生きている社会の約束事が分からなくなっただけである。
高橋さんの最終的な結論は、認知症患者というのは、社会的約束事を忘れてしまったとか、それができない人のことをいうのであって、彼らの物事に対する理解は哲学者的ですらあるとうことであった。