209)お葬式いろいろ

 

            

 今までにいくつかのお葬式に参列した。肉親の場合もあったし、友人の場合もあった。友人の親御さんの時もあった。

それらの通夜や告別式は、その詳細をほとんど忘れてしまっているが、いくつか印象深いものもあった。

 一つは、職場の上司のお葬式。法務局の重要官職を務め、私達の職場には天下り的な形で入ってこられた。法務局では力のあった方のようで、姿勢正しく、きびきび闊達で、我々の職場でも無欠勤で勤め上げられた。無口な方であった。職場では特に重要な仕事があるわけではなく、職員の動きを見渡しながら、新聞を読んだり、館内を歩き回ったりしておられた。

その方が、当職場を退職されて何年か経った。そして、しばらくしてご逝去の報が入った。

 職場の長でもあり元法務局のお偉いさんだったということで、大きな寺院で通夜・告別式が行われた。

      

何人かの職員が駆り出されて、テント張りや受付などの仕事を手伝うことになった。

誰もが大勢の弔問客が詰めかけると思っていた。

 しかし、ふたを開けてみると、献花は数多く送られてきていたが、弔問の客はほとんどいなかった。受付のテントが、さびしく風にはためいていた。

誰かが言った。「昔は偉かった人も、そこをやめて何年か経つと、やっぱり忘れられてしまうんだな・・・」。   

              

 二つ目に思い出すのは、義兄の葬儀であった。大人しく穏やかな性格の義兄が、心臓まひで突然亡くなった。

 告別式の開式の時間が迫っているのに、親族以外はほとんど人がいなかった。弟が「誰もけーへんのとちゃうか・・・」と言い始めた。

 しかし、開始時間の直前あたりから、人がぞろぞろと集まり出した。近所の方が多かったようだが、最終的には、20人以上の人が集まってくださり、それで会場が埋まってしまった。

           

「おじさんは派手に活躍する人ではなかったけれど、気軽に町内会の手伝いをしたり、行事に参加したりした。その穏やかな性格を通じて、近所の人には信頼されていた」のであった。

 

 次に思い出すのは、夫の長兄の通夜であった。広い会場に、近所や町や仕事関係の人々がそこそこ集まっていた。通夜が始まった。中ごろから終わりごろであろうか、本当に大勢の、制服を来た男女がお焼香に並び始めた。皆同じ制服を着ている。どちらかというと、若い女性が多かった。その人たちが一列に並び、その列のお焼香が終わると次の列がお焼香をする。たぶん、4、50人はいたと思う。

 そこで「はっと」気がついた。亡くなった兄の娘が農協の職員であった。もう2、30年農協で働いているから、職場では中堅であろう。「〇〇さんのお父さんが亡くなられた」という一報で、農協の多くの人が駆け付けたのである。     

         

        

 

 農協では、職員の家族の通夜や告別式には、職員がこぞって参列するという習慣があるのであろうか。

 農協のすごいところを見せられたような気がした。

 

 四つ目に思い出すのは、半年前の通夜であった。

やはりあまり人との付き合いはなく、地味に生きてきた義兄の1人である。

婦人服の販売を手がけ、奥さんがミシンで服を縫って手伝っていた。小さな婦人服店を開いていたが、不況の波に押されて、うまく行かなかった。仕事がうまく行かなかったため、年金の保険料の支払いもままにならなかった。

   

         

 仕事をやめてからはそれほど人との付き合いはなかったようである。

 通夜の当日も弔問客はほとんどいなかった。昔世話になったという人が1人か2人、知り合いだったという人が1人か2人であった。あとは親族が数名いるだけだった。

家族には息子と娘がいて、2人とも40近い。息子は結婚していて子供がおり、仕事場ではそれなりの信頼を得ていた。

 通夜の時間が迫ってくる。会場の外に息子と同い年くらいの男女が、黒い装いで集まり始める。まるでどこかの同窓会みたいに、笑顔で名前を呼び交わしたり、話し合ったりしている。20人近くいたであろうか。若い人達であるから、にぎやかである。

          

 彼らは息子の高校時代の友達であったり、職場の仲間であった。いわば息子の友達や仲間達が、父親が亡くなったというのを聞いて、大勢集合したのである。

 彼らの参加で、通夜は盛況のうちに進められた。

 彼らが集まった真の理由は分からない。息子が頼んだのか、息子の人望が彼らを集めたのか。

しかし、見ていて、あまり違和感はなかった。亡くなった本人ではなく、息子の友達が大勢集まる、そんな通夜もあっていいのではないかとさえ思えた。

 通夜に出される精進落としのお寿司がすぐになくなり、近くの寿司屋さんにお願いして、追加してもらっていた。若い人達だから食べる量も半端ではなく、テーブルに並んだお寿司がすぐなくなってしまう。若い人達らしく遠慮もせず、どんどん食べていたようだ。

ああ、こんなお葬式もあるのだなあと一種の感慨を覚えた。

   

 

 通夜や葬儀の形は葬儀の数だけあると言うが、いつも何かを考えさせてくれるものである。