190)原田康①「わからんけど、わかる」の続きとして、彼の講演の中から、「エッセイの面白さ~随筆と小説のあいだ~」を取り上げる。
私自身は高校生のあたりから書くことが好きで、学校のことや友達のことについて書いたりしていた。外に発表できるものは何もなかったが、どちらかと言うと、話すより書くほうが自分には合っているような気がしていた。
書くということに意識を持つようになったのは、仕事を始めてからだった。海外の研修生に日本語を教えるという仕事であったが、研修生の中にパキスタンの方がいた。中年の男性で、国では指導的立場の人だったと思う。その研修生は占い師でもあった。
ある日、彼が私の手相を見てくれると言う。
私の手相を見て、開口一番こう言った。
「Amazingly, you have a talent of writing.(驚いたことに、あなたには書く才能がある)
私は最初は信じず、「でも、何も書けていないけど」と言った。彼は、「いや、それは、あなたが書く技能を磨いていないだけだ」と説明した。
その日からである、書くことに関して彼の占いを信じ始めたのは・・・。いや、信じ始めたと言うより、信じたかったというのが正直な気持ちであった。
(この気持ちが、例えばこのブログを続けさせている原動力でもあるのだろうと思う。)
作家「原田康」の講演の中で、エッセイについての彼のとらえ方(以下の「 」内)を聞いた時、やはり共感するものがあった。原田はエッセイとは言わないで、随筆という。
「世の中には、書きたい、面白い文章を書きたい、役に立つ話をしたいという人がいるだろう。
人間は通常、書き出すと、いざ書くとなると、自分自身の「気取り」や「自意識」に苦しめられる。
読み手にどう思われるか、バカにされるのではないか、どこまで本音を書けばいいかなどの、自分のプライドに関わる意識が起こってくる。
その点(自意識を取り外して書いているという点)から言えば、プロの作家とは、ある意味で書くことの「自意識」を失った人だと思う。」
「「てらい」や「格好」から逃れるための手立てとしては、小説なんかより随筆のほうが書きやすい。
最初のころ自分(原田氏)が頼まれた仕事は、日記を書いてくださいということだった。何でもない日のことを週1回、原稿用紙5枚使って書く仕事だった。しかし、それがいい練習になった。」
「小説と随筆の違いの境界は難しい。結論はない。両者の違いは、たとえば、歌謡曲かロックかの違い。「役で」やっているか「素」でやっているか、である。
歌謡曲では、男が女にもなるし、演じて役になり切る。一方、ロックは素(す)でやっている。例えれば、森進一の「おふくろさん」は小説だし、ジョン・レノンの「Mother」は随筆のようなものだ。小説は劇映画とも言えるし、随筆はドキュメンタリーとも言える。
随筆は一般人、無名人、特殊人、有名人、誰でも書けるが、ここに随筆の大きな問題がある。
有名人は、「顔」があるから何を書いてもやりやすい。名が知れているということで、読んでくれる人が多くなる。有名人にとっては、随筆はすこぶる楽な仕事である。
一方、無名人はそうは行かない。何か「賞」をもらってからでないと、誰もそんな知らない人に興味を持たない。」
ここで私はハッとした。私のブログ(エッセイ)は読者がすこぶる少ない。自分が読者を増やす努力をしていないこともあるが、原田氏が言うように、顔の知られていない人間のエッセイ(随筆)なんか、この忙しい世の中で誰が読んでくれるのか? きっと、それが正しい答えなのであろう。
原田氏は続ける。
「文章を書く上での秘伝のタレというかコツは、「本当のことを書く」こと。気持ちをダイレクトに(直接に)書くということ。
文章の技術は必要だが、本当に思ったことはなかなか書けないものだ。人間は普通のことがなかなか書けない。すぐ格好をつけたくなる。格好をつけると、読み手にこばまれてしまう。書き手は、文章に対する自意識を押さえて、ええ感じにしなければならない。」
「文章には呪術的な力がある。文章という船に乗れば、水路に出る。水路に沿って行けば流れにたどり着く。
言葉を書き進めていくと、推進力に従って、本当に自分が考えていることにたどり着く。
文章の技術は、自分の自意識を取り外し、それを繰り返していくと、更に大きく「自意識」を取り外せる。日々文章を書くことの継続。それによって、「自意識」が取り払われる。
文章のおもしろさは、「てらい」や「自意識」の入らない本当のことを書くこと、それは日々の実践、日々の積み重ねで培われる。」
私の修行が足りなくて、原田氏の言っていること、特に後半部分がよく理解できない。私は、このブログ(エッセイ)で、いつも本当のことを言ってきた。「自意識」はあまりない。私のエッセイが浅いということであろうか。氏は、真実をもっともっと突き詰め、すべてを赤裸々に表せと言いたいのであろうか?