242)戦争平和インタビュー1

         

 7月の中旬から8月の終戦記念日まで、NHKではテレビ・ラジオを通じて、原爆や戦争に関する番組が放送される。被爆地の状況や戦争の実体験を、当事者の目を通して伝えていこうという番組が多い。

 その時期だけ、まるで取って付けたように放送するという批判もある。

 今回と次回の当ブログで取り上げるのは、昨年放送された「戦争平和インタビュー1、2」である。

 フィリピンで生きた家族の状況があまりにも悲惨でこの1年封印していたが、今年になって、また「原爆・戦争インタビュー放送」が続く中で、皆さんに、特に子供の状況を知っていただくのもいいかもしれないと思うようになってきた。

 

 これは、昭和8年1933年フィリピンミンダナオ島ダバオ地域で商店を営むご両親のもと、祖父や兄弟姉妹、計12人で暮らしていた、岡本さんご家族の戦争体験である。語り手は、高知市89歳岡本しずさん、岡本家の3女であった。

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アナ:戦前岡本さん家族がフィリピンに移住したのはなぜ? 高知から移住されたのですか?

しず:おじいちゃんがフィリピンに移住した時に、フィリピンは暑いところだから、子供は裸で育てられるから来なさいと両親に連絡があって、高知からフィリピンへ渡った。おじいちゃんがダバオのマテというところで百貨店を開いていた。

 

    

     

 

 フィリピンでは夕方になるとスコールが来る。スコールが迫ってくると、空が暗くなる。私と妹のとも子、弟の洋一はパンツ一枚の姿になって外に出る。待っていると、遠くの家のトタン屋根にパタパタと打ち付ける雨が大きな音を立ててやってくる。そして、ざぁー、パタパタパタと大粒の雨が降り始める。車も自転車も走らない静かな町を行ったり来たりして走り回った。頭からつま先まで大粒のスコールを浴びた。本当に楽しかった。

         

 

 母屋が広く、トイレもお風呂も外にあって、お風呂入ったことない。スコールが夕方来るから、飛び出ていって、帰ってきたら、母が石鹸で体洗ってくれて。みんな近所の子供も皆、裸。

学校の授業でナギナタもあった。「敵が来たらこれで突くのですよ」と先生が言った。私は、「突く言うても子供なのに」と思った。

 

        

 学校から帰る時には軍歌を歌わなければいけないということで、方角が同じ子供達は並んで軍歌を歌っていた。

「今日も学校行けるのは兵隊さんのおかげです」言うて。そんな歌とか、いろいろ歌いながら。

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アナ:戦争末期になって、反撃に出たアメリカ軍がミンダナオ島ダバオのあたりに侵攻してくる。ダバオの状況も悪化してくる。岡本さんの家族はダバオの市街地から避難することになる。避難を始めたころの様子は覚えていますか?

しず:それは突然言われて、そのまま逃げるような・・・。その先は両親も何も言ってくれない、かばんも勉強道具も要らないから、早く行こう言うて、皆でそのまま逃げ続けて、着いたところが農園をしていた大きなお家だった。そこで2日ぐらいいた時に、アメリカの爆撃が始まって、父が裸で、外に井戸があったので、そこで水を浴びていた。

 空を見ていたら、飛行機が5機ぐらい飛んできて、あそこあそこと言うてるうちに、だんだん色が黒うなって、子供だから「万歳万歳」言うて、そしたら、バリバリバリ撃ち出して。逃げたら、頭の上で空中戦、日本の飛行機と空中戦やり出して。

         

           

 

 それからはもうここにおれんねえ言うてたら、さっそく明日は逃げなければあかんということになって、あくる日からまた逃げて、ずーっと一日中逃げて。

 私達は学校へ行かなければということで、ヤシの間をずっと行って、そしたらまた飛行機が来て、爆撃を始めて、私達は林に逃げたのだけど、学校に着いたら、遅れた者は自習しなさいと言って走らされて、走っているうちまた飛行機が来て、「今日は帰りなさい」ということで帰ったら、姉が新聞社に勤めていたから、「逃げなさい、早く逃げなさい」ということで、また荷物を整理して逃げた。

  

        

 

アナ:新聞社には情報が入ってた?

しず:情報が入っとった。日本が負ける、日本が負けるって。それで、ずっと歩き続けて、アメリカ軍からの攻撃を逃れようとしてジャングルの中へ進んでいく。避難したときの様子をスケッチブックや、画用紙150枚に描いて。

アナ:鉛筆で描かれたモノクロの絵ですね。過酷な様子が伝わってくる絵ばかりですが、その1枚、小屋の中に家族がいて、涙を流したりしている様子が描かれているが、これはどういう場面ですか?

しず:石が妹の頭に当たって、妹の頭がぺっちゃんこになった、爆撃で石が跳んできて頭に命中した。だから、脳みそと血が輪になって、ただ「ともちゃん、ともちゃん」って呼びながら、生き返ると思って一生懸命揺すって、「ううーん、ううーん」って一度だけうなって・・・。即死やね。私と年子だったからね。

アナ:4女のとも子さん。

しず:泣きましたよ。皆で、囲炉裏でご飯食べようと言っても、ただ皆一晩中泣いて、はじめて家族亡くしたから。一番上の姉が「もう喧嘩もしたら時あかん」言うて、「皆仲良く行こうね」、いつ死ぬかわからんから。

アナ:ジャングルの中を逃げていた時に、空爆に遭って、とも子さんが亡くなった。一晩明けて11人で逃げ始める。これはジャングルで逃げている時の絵、これは銃を担いだ日本兵がもたれかかっている。

しず:死んでるの。死んで、もたれかかってる。こっち側に白骨の死体があって、目は柔らかいから、目にウジ虫がワーッとたかって、白骨もあっちでコロコロ、こっちでコロコロ、歩くとまたそこで死んでる。これは死んでる。

 

          

 

アナ:(この人は)母親なんですか。

しず:子供の泣き声がわーってジャングルで聞こえるんです。どこで子供が泣いてるのかなあと思ったら、子供が私達のほうを見て泣いている、お母さんが死んでた、それにすがりながら私達を見て泣いてる。前をおじさん達は逃げてるけど、みんな知らん顔。そんなん、助ける余裕ないのよね。みんな一生懸命逃げてるから。・・・一生忘れん。

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しず:小屋があって、おじいちゃんが見てくると言って行ったけど、そのまま帰ってこなかった。死んでるんじゃないかな?

おじいちゃんが様子を見に行って戻らなかった。そのあと、姉が見に行って、姉も戻らなかった。

            イラストみすぼらしい小屋 に対する画像結果

 夕方薄暗くなったら、姉はいない、2番目の姉が赤ん坊と母と戻ってきた。「姉さんは?」って言うたら、「どこ行ったかわからん。途中でアメリカ兵に出会って、パーッと逃げたんだ」って。

 姉だけはぐれて他へ逃げて、姉はものすごく英語もしゃべるから、アメリカ兵につかまっても英語しゃべれるから、大丈夫や言うてたけど。(つづく)