59)母のお世話

母は101歳で7年前に亡くなった。(父はその6年前に亡くなっている。)

父が死んで、母一人になったとき、母は一人暮らしを望んだ。しかし、何かあったとき、たとえば失火したりしたらご近所に迷惑がかかるということで、結果的には一人暮らしはしない(させない)ということになった。

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母の子供は長女、次女、3女、私、そして弟の合計5人である。弟は兄弟姉妹の中で一番下であるが、長男ということで、母の面倒の基盤は弟の家に置くことになった。ただ、姉達が母の面倒をみたいと希望したこと、弟嫁も、ときどきは姉達に面倒を見てほしいと希望したことで、子供全員が、それぞれのできる範囲で、母の面倒をみることになった。

母が一番好んでいたのは新潟の長女のうちであった。涼しくて気候が良いということで、6~8月を長女と家族(長女のお婿さん)が母の面倒をみていた。次女、3女、そして私は、一年の1、2か月程度、自分達の都合のよい時期に面倒を見ることになった。

母のお世話の一番少なかったのは私であった。日本語教師として働いていたこともあって、私(と夫)は夏休みや春休みの休み期間にまとめて面倒をみることになった。

 

母は起きるとすぐ編み物を始める。毛糸のいっぱい入った袋をそばに置いて、かぎ針でせっせと編む。

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「これでもしていないと、落ち着かない」というようなことをつぶやいていたことがあった。たとえ娘であろうと、人の家に来て、特に何もすることはなく、上げ膳据え膳で食事に預かるという生活は、母には辛いものがあったのだろう。時間もなかなか過ぎて行かなかったのであろう。

母の編み物は、編んではほどき、ほどいては編むの繰り返しであった。昔は独力でセーターを編み上げるほどの腕を持っていたが、高齢になって物忘れもひどくなり、編んでいるうちに「今何を編んでるのかな?」とこっちに聞いてくることもあった。特に何かを作り上げるというのではなく、ただ不安と心細さと、そして時間つぶしのために編んでいるのであった。母の編んだ花瓶敷のような四角の編上がり品は、4人姉妹のどの家にもごろごろ転がっていた。

私は料理は嫌いではなかった。むしろ好きかもしれない。そのころは天ぷらなどの揚げ物が得意であった。マイタケの天ぷらやししゃもの天ぷらなどは、カラリとうまく上げることができた。天ぷらは油の始末が面倒だと言って2番目の姉などは家の中では一切しないが、私は比較的しょっちゅうやった。簡単だというのが一番の理由かもしれない。

最初のうちは母は、「天ぷらは揚げたてがおいしいね」などと言って、もちろん食べる量は私の半分から3分の一であったが、よく食べてくれた。

しかし、日が経つにつれて、母の食欲は落ちていった。揚げ物を出すと、特に何やかやと理屈をつけて手を付けなくなった。そういう日が何日か続いた。

正直のところ私は困った。どうしよう? 何を食べさせたらいいか?      

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母が逝ってしまった今はいろいろなことを反省する。天ぷらなんか高齢の母が食べたいはずはなかった。刺身や煮物にすればよかった。年をとると、昔食べていたものが食べたくなる。母は焼いたメザシが好きだった。たまたま買ってきたメザシを喜んで食べた。

母に何が食べたいかと聞くと、「何でもいいよ、心配せんでいいよ」と答える。メザシのようなものをもっと食べさせてあげればよかった。そうだ、遠慮がちの母に聞くよりは、むしろ毎日でもスーパーに連れて行ってあげるべきだった。そして、食べたいものを自分で選ばせるべきだった。

主婦は毎日の食卓のために、仕事として、義務的に買い物に行くと思っている。しかし、明るく広い空間で、色とりどりの商品が並んでいる場所へ行くのは、気晴らしでもあり楽しみでもあるはずだ。母も、昔は毎日市場へ買い物に行っていた。

スーパーまで連れて行くには母を車椅子に乗せる必要がある。車椅子を押すことの大変さが私の頭にあった。しかし、車椅子なら母の目線でスーパーに並ぶ商品が見られたはずだ。

色々の商品が並んでいるのを見ることは、一日家にいる母には、ワクワクすることだったにちがいない。また、自分の食べたいものを自分で選ぶことは、生きがいにも通じる、大いなる喜びだったにちがいない。

私は母を大事に思っていた。お風呂もいっしょに入り、母の部屋も清潔にし、布団の手入れも怠らなかった。でも、母の亡くなった今思うと、それは型通りの思いやりでしかなかった。母が本当に何を欲しているのかを、母の立場で、母の身になって思いやる気持ちが足りなかったと反省することしきりである。