222)母との散歩

 そのころは母は99歳をとっくに超えて100歳に差しかかっていた。姉妹が多いので、交代で自分の家に母を預かることがあった。

         

 母は、若いころからちょこちょこ動く人で、足が痛いとか、くたびれて歩けないということはなかった。毎日近くの、といっても、7~800メートル離れた市場に買い物に行っていた。

        

 

 しかし、100歳に近づいて、さすがに歩くことができにくくなってきた。家の中では歩けるし、外でも歩くが、どうしても小股になって、小走りしてしまう。一定のテンポで安定して歩くことができない。

 大阪の母が東京の我が家に来て、2、3日が経った。家の中ばかりも面白くなかろうと、散歩に連れ出すことにした。介護施設から借りた車椅子がある。

 

        

 

 我が家の近くには3つ公園がある。まず、起伏のあまりないU公園に出かけた。公園までは下り坂で、押していくのにさほどの苦労はなかった。体力のあまりない私でもなんとか公園の中央までたどり着いた。

 

        

 

 1人の若いママさんが子供を遊ばせている。私は彼女にあいさつをして、つい「もうすぐ100歳になります」と言った。彼女は、「わー、おめでとうございます。ぜひ、握手させてください」と言って、母の手を握った。彼女の明るい笑顔で、母もとてもうれしそうだった。

 

「そうか、長生きするだけで、人を元気づけるんだなあ」と思ったりもした。

        

 2、3日して今度はD公園に出かけた。

D公園はブランコや滑り台のある子供公園を越えて、少し行かなければならない。子供公園から少しずつ上り坂になっていて、上り切ったところに橋があり、良い天気の時は富士山が見える。

 母に富士山を見せたかった。

 

         

 

 その日は快晴だった。子供公園までは順調に来られた。子供公園には誰もいなかった。

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  橋まで行こうとしたら、子供公園の出口のところがアルミパイプでふさがれているのに気がついた。3本のアルミパイプは車椅子が通れるぎりぎりの幅で並んでいる。しかし、左右の端は隙間がかなり広い。特に右側が広い。私は自信を持って、その右側から出ようと思った。

          

 車椅子を押す。ところが、足元が坂になっていて段差があるのか、車椅子がなかなか運べない。一生懸命押しているのに、車椅子が真っすぐにならない。小さくぶれてしまう。

 私は全力でガタガタと車椅子を押した。車椅子の方向を変えようとした。

そのとき私はびっくりしたのである。ついさっきまでは公園には誰もいなかった。なのに、車椅子をガタガタさせているほんの数分の間に、若いママさんみたいな女性が3人集まってきているのである

 彼女たちはどこから出てきたのか?

        

「大丈夫ですか?」

「ここを出たいのですか?」

「ここを押さえて持ち上げればいいですよ」

 

 3人の女性は口々にねぎらいの言葉をかけながら、車椅子が出口を通るのを手伝ってくれるのである。私は恐縮しながら、「ありがとう、すみません」を繰り返した。そして、母を乗せた車椅子はいとも簡単にアルミパイプの隙間を抜け出ることができた。

 

 私はいまだにキツネにつままれている。あの女性達はどこで私が車椅子と格闘しているのを見ていたのだろう? あの時は公園には絶対に誰もいなかった。どうして彼女たちはこんなに短時間に私を助けに来られたんだろう?

 

 その謎はとけていない。しかし、私は思った。「あ~人間て、やっぱり優しいんだなあ」ということを。

もちろん相手が車椅子だったから、車椅子に乗っていたのが老婆だったから、というのもあろうが・・・。

 

 困っている人をどこかで見かけたら、すぐ飛んでくる。人間の温かさを感じたひと時であった。