22)教科書(SFJ)作り

 1985年ごろの筑波大学は、留学生センターができたところで、教科書も『新日本語の基礎』の会話の部分を筑波大学向けにアレンジして使用していた。

 筑波大学留学生センターとして、独自の教科書を作りたいという気持ちが、専任、非常勤両方の先生方の中に強くなってきている時期であった。

 日本国内を見ても、いろいろな大学、日本語教育機関が初級の教科書を出していた。

初級であれば教科書自体そんなに違わないのではないか、教科書作りがそんなに大変な作業なら、自分のところで作るのはやめて、出版されている中から一番使いやすいものを選んで使えばいいじゃないかという考えも成り立つ。事実、そう割り切って、自分のところでは教科書作りはしないという大学、日本語教育機関もある。

 一方で、他の機関が作ったものはやはりどうも使いにくい、場所の名前とか、交通機関とか、設定されている人物とか、やはり自分達のとはちょっと違うというようなこともある。

 他の日本語教育機関でない、自分のところの名前を持った独自の教科書というのは、やはり、日本語を教えているところなら持ちたいものなのだろうと思う。

 教科書を作るということは、大変な労力のいることである。たくさんの人達がまとまって、議論を重ねて、一つの方向へ向かっていく。できあがった教科書はもちろん値打ちのあるものだが、それ以上に、ああでもない、こうでもないと勉強したり、苦しんだり、ときには、喧嘩をしたり‥‥こういう、作成の過程がもっと、貴重なのだろうと思う。

 教科書を作ることによって、それに関わった人達が、一回りも二回りも大きく成長していくような気がする。

 私は、今まで、教科書ということばを使ってきた。教科書というのは、形のあるものである。形のあるものは、それができあがると、使う人達はそれに縛られるという宿命にある。

 教科書通りやらなければならないとか、今日はここまで終わらなければならないとか、いくつかの制約を受ける。

 また、教科書は世の中に出たとたんに古くなる。たぶんどんなに良い教科書でも、欠点が出て来始める。

そのため、日本語教育者の中には、教科書は必要がないと考えている人もいる。学習者に合った内容・やり方で、また、補助教材などを使って、弾力的に授業を行うという考え方だ。

 きちんと、コースのプログラムが組まれていて、授業に当たる先生方が、それに対処できる力のある人達であれば、それも面白いかもしれない。

 また、岡崎敏雄先生(元現筑波大学教授)が主張されていたような、モジュール方式(いろいろな技能の、また、いろいろなレベルの教材を準備しておいて、学習者に一番合った教材を組み合わせていく方式)も、一案だと思いわれる。しかし、これには、各技能別の教材のリソースが常に、豊富に準備されているということが必要である。

 教科書という名前はやめて、せめて教材ということばを使おうと思っている人達も多い。私もどちらかと言えばそうであるが、ただ、現実には、しっかりした教科書があったほうが教えやすいし、何人かの人が継続して教えていくということを考えると、形のあるほうがやりやすく、学習者もあとで自分で確認ができるという利点はあると言える。