25)会話力と文法力を育てる

 岡崎先生(元筑波大学教授)は、彼も信念の人であるから、会話教育をしながら、会話を主体にしながら、文法力が付く方法は絶対あるとおっしゃっていた。

そして、そのとき、例えば、会話のやりとりの中で、

            「きのうどこへ行ったの」

            「東京」

            「だれと行ったの」

            「友だちと」

            「何人で行ったの」

            「3人で」

というように、自然な会話の中に、文の構造を組み込んでいく、そして、会話を身に付けると同時に、文構造も身に付くというようなことを言われた。

私はそのときすごく感動して、あ、そんな形で、自然に文法が導入できたらすばらしいなと思った。会話と文法の自然な融合が、本腰を入れれば、そういう教材ができるのじゃないかと思った。

そして、いつかそんな教科書を作ってみたいと思った。

 そう思いながら、今まで何もせずに来ているのだから、言うはやすくて、作るのは難しい、または、実際には作れないものなのかもしれない。

 2003年の秋の日本語教育学会でシンポジウムでは、テーマとして「新しい日本語教育文法―コミュニケーションのための文法をめざして―」が取り上げられた。

 シンポジウムでは、いくつかの具体的提言もあったが、「コミュニケーションのための文法」の必要性への問題提起が中心であった。

問題提起だけでなく、具体的に、どのように現実のものとするか、それがやはり一番難しいのだろうと思う。

筑波大学の教科書SFJに話を戻そう。

SFJは、筑波大学だけでなく、いろいろのところで使われている。

オーストラリアのウーロンゴン大学はかなり早い時期にSFJを正規の教科書として採用してくれた。

一度、その状況を見に、ウーロンゴン大学まで出かけて行ったことがある。しかし、そこでは、全くSFJの作成意図とは違う形で授業が進められていた。

SFJは会話説明とともに、文法説明もかなり丁寧に詳しく記述されているが、そこでは文法説明を授業の中で読み合わせしていたのである。つまり、SFJが文法書として使われていた。

 こちらはびっくりしたが、きちんと教科書の作成意図を伝えておかないと、このようなことはしばしば起こると考えられる。