前回は、筑波の先生方で、班、つまり、会話班、文法班、語彙班、タスク班というものが作られ、それぞれが自分のやりたい班に入ることになったというところまでお話した。
今回は実際的にどのように教科書が作られていったかをお話ししたい。
まず、会話班が、留学生にとって必要な場面と機能を選定し始めた。
場面というのは、郵便局や、指導教官の研究室でなどの会話の行われる場面のことで、機能というのは「申し出る」「許可をもらう」「苦情を言う」などの「言葉や場面の働き」のことである。
会話班は会話を作り始めた。最初は、文法項目などは一切考えないで、会話の自然さということを目標にして作り始めた。例えば郵便局で切手を買う会話を作っていくということなどだ。
文法班は、会話班が作った会話文から文法項目を拾い出して、その課で取り上げるのはいくつと文法項目を決める。
しかし、やはり、文法項目の提出には順序があって、易しいものから難しいものへ、習得しやすいものから、しにくいものへと並べる必要がある、少なくとも、文法班はそうしたいと思った。
それで、会話班にいろいろ文句をつけるのだが、「文法班が文句をつけるから、会話文が不自然になってしまう」と大坪先生にはよく怒られた。
そのような議論を重ねながら、お互いが妥協し合って、少しずつ落ち着いていくわけであるが、その調整に3年かかってしまった。
そして気が付いたときには、日本語教育界にはコミュニカティブの嵐が吹き荒れていた。
筑波大学の岡崎敏雄先生、そして、名古屋大学の尾崎明人先生もそうだったと思うが、その先生方の、コミュニカティブアプローチのついての講演会が何度も開かれた。
私はその間とても苦しんだ。筑波大学での教科書作りでは、文法班のボスとして、文法の重要性を主張して譲らなかったけれど、心の中ではずっと悩み続けていた。
私が悩んだことは、自分がAOTS時代に、オーディオリンガルメソッドを最上のものとして身に付け、日本語教育を実践してきた、そして、名古屋時代にも、文型一辺倒とまでは行かなくても、文法を大切に考え、文法の構造をきちんと教えていくという考え方・やり方が、筑波大学での教科書作りのところでがたがたと崩れ始めたことである。
コミュニカティブアプローチ、コミュニカティブアプローチと言うけれど、本当にそれで学習者に日本語力が付くのだろうかというのが、私自身、本当に知りたかったところであった。
自分が今まで培ってきた文法積み上げ方式というのは、役にたたない代物なのだろうか、文法をないがしろにして、どうやって教えていくのだろうか。
そして、もし、コミュニカティブアプローチが文法積み上げより効果的だとしたら、自分はこれから、どのように、方向転換をしていくべきなのだろうか、と本当に真剣に悩んだ。
いくつかの講演会にも出かけたり、コミュニカティブアプローチの本を読んだりもした。