23)教科書(SFJ)作り(2)

 筑波の留学生センターとして、独自の教科書が持ちたいという気持ちが高まりつつあった最中に、では、皆それぞれはどんな教科書を作りたいかを、率直に意見を出し合おうという会合が計画された。

 一泊泊まりで、筑波山の裏の研修センターに筑波の留学生センターの常勤講師、非常勤講師合計10数名が集まった。

 メンバーの中には会話急進派も何人かいて、彼らの主張は「ゼロの段階から学習者には話す技術を教えなければならない、文法などは、動詞の活用表とか、一覧表とかで十分だ、文法説明なんかいらない」というところにまで行っていた。新しい教科書に、コミュニカティブアプローチを全面的に取り入れようという動きが出てきたのである。

一方、「文法がなくては、学習者の日本語力は育たない、特に自分で自分の言いたい文を作っていく力(生成力)は、文法力が作るものだ」と主張する人たちもいた。

私は文法を重視する考え方だったので、後者に属していた。属していたというより、文法重視派の急先鋒だったかもしれない。

 ともかく、会話重視派と文法重視派とで、かなり激烈な議論があった。

会話重視の人達は、「あなたは古い、頭が固い」と言って憚らなかったけれど、私はどう考えても、文法なしで、どうやって日本語を学ばせるのかがわからなかった。

最初に初歩的な文法の基本を教え込んで、それから、徐々に会話の技術(受け答えとか、話の持って行き方とか相づちなど)を教えていけばいいという、文法重視派の考えでさえ、会話重視派の人たちは受け入れなかった。彼らは、学習者が日本語を学ぶ最初の段階から、会話の技術を教えなければ身に付かないという考え方であった。

 私はそのとき、名古屋時代に水谷、大坪両先生が学習の最初に重要さに目を向けさせなければならないとおっしゃって、音声教育に力を入れておられたのを、ふと、思い出した。最初に、会話が大事、会話というよりコミュニケーションが大切だということを叩き込まなければならないと、会話重視派の人たちは考えておられたのかもしれない。

 激しい議論のあと、一応結論的には、会話も大事、文法も大事ということになった。しかし、新しい教科書では、あくまでも自然な日本語を教えるということを貫くため、会話が先行し、文法はそれを支えるということになったのである。

 メンバー(筑波の先生方)の中で班が作られた。会話班、文法班、語彙班、タスク班で、それぞれが自分のやりたい班に入ることになった。私はもちろん文法班であるが、面白いもので、各班とも3名ずつ(4名の班もあったが)がすんなり決まった。筑波の留学生センターの先生方は自分は何がしたいかをしっかり持っておられたのだろう。それだからこそ、Situational Functional Japaneseが結実し、出版から長い間、良い教科書として生き続けているのであろう。