筑波大学でU先生の授業を参観する機会を得た。U先生は会話教育だけでなくコースデザインなど教授法の専門家で、シンガポール大学でも独自の教科書作りに関わっておられた。
U先生の授業はSFJ第9課の会話練習であった。学生はいろいろの国から10人ほどであった。
まず簡単に(1分ぐらい)会話文の流れ(話の切り出し、展開、終わり方)を黒板を使って説明され、すぐに何枚かのカードを学生に配られた。学生は2人ペアになっている。カードは横15センチ、縦10センチ程度の小さいもので、「お腹痛い」「熱がある」などの病気の症状がイラストで描かれている。
先生は何番の会話の練習をしなさいと指示されたかされなかったかのような感じだったが、学生のペア同士の動きが始まった。
できる学生のペアはカードを使って会話練習を始める。わからなくなると、教科書を見たり、ペアどうし教え合ったりしている。
一方、あまりできない学生のペアは、何をやっていいのか、どうやっていいのかキョロキョロあたりを見回している。隣のペアを見て、教科書をはじめて開いた学生もいる。彼らがカードを使って練習を始めるのには、まだまだ時間がかかりそうだ。
でも、先生はそんな学生に対しても助け船は出さない。にこにこ微笑みながら、学生達のうしろを歩いているだけである。
何分経っただろううか。
10分、20分、30分・・
やはり先生は何の指示もしない。
私はうしろで見ていて、大丈夫なのかしらと思っていた。ただ歩いているだけなんて、先生の仕事は、えらい楽な仕事だなあとさえ思った。
ところがである。
20分、30分と経つうちに、あたりをキョロキョロしていた学生達が、少しずつカードを見ながら会話の練習をし始めたのである。
わからなくなると、すぐ教科書を開いたり、練習が中断したりする。聞こえてくる発音も決してスムーズとは言えない。
でも、自分達で練習をやっているのである。
40分、50分以上経って、授業終了になった。
でも、先生は会話練習の結果を発表させるでもなく、そのまま授業を終わられた。
先生は授業中はまったくの黒子(くろこ)に徹しておられた。
私はU先生の授業を見て、「先生の役割とは、待つことなのだ」と悟った次第である。