前回は「ぼく」の使い方に焦点が当たっていた。「おれ」との違い、「わたし」との違い、同じ人間同士でも、親しくなってくると、「わたし」が「ぼく」になったり、「おれ」になったりする。
今回は、「自分」という呼び方について、また、「あたし」「わたくし」という呼び方についても話し合う。
また、外国人が使い間違ったとき、日本人はどう感じるのかについても話し合いのテーマになった。
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T: ぼくは日常で自分自身のことを「ぼく」と言っています。
でも、「ぼく」と書いているのですが、その理由は、「わたし」だと女と間違えられるのではと思ったり、「自分」だとなんだか堅苦しそうなので、「ぼく」としているのですが。
R:今、思い出したんですけど、男性の中で自分のことを称するときに、「ぼく」とか「おれ」とか「わたし」じゃなくて、「自分」を使っている人が若い人の中でけっこういるんですが、これ、私にはちょっと耳障りに聞こえるんですけど、皆さんどうですか。
D:それはなぜですか。
R:堅苦しい感じがするし、あと、単語としての「自分」と、「おれ」「ぼく」としての自分との使い分けがならないというか、何かスポーツ系の人が言っているような、そういうイメージがあるので、「自分」をあまり使いすぎるっていうのは、聞き心地がよくないと思うんですね。
市:戦前の日本人は「わたし」とか「ぼく」とか言わないで「自分」と言ってきた。
軍隊の流れがずっと来ているんでしょうね。部下が上司に自分のことを話すときに、「自分はこう思います」とか「自分は~ました」とか言うんですね。
これは自分の名前を言うのがはばかられて、もう少し遠慮して「自分は」と言っているんだと思います。
李:最近はそういう感じでもないです。若い男同士が「自分」を使っている・・。
L:「自分」という言葉を聞くと、その人が自分って言ってるのは、たぶん感情に欠けている(→感情を入れない)言い方を探しているからじゃないかなと思います。
何か「わたし」と「ぼく」と「おれ」という言い方には、やはり何か感情がこもってるから、だから、その「自分」っていうのがそのためなんじゃないかなと思って・・。
D:Mさんはどう思いますか。
M:「自分」はあまり考えたことないんですけど、さっきTさんがおっしゃっていた、意識しないで「おれ」と「ぼく」と言ってしまうことについて、友達にどうやって使い分けているんですかと聞いてみました。
友だちは、「おれ、「ぼく」が多いかな」と答えて(→答えたので)、今、「おれ、「ぼく」が多い」と答えたよって言ったら、「えっ、おれ言ったっけ」と答えました。
そのあとも「おれ」を言ったときに全然気づいてないで、たまに「おれ」を言ったり、全然意識しないで使い分けてるみたいです。
K:「わたし」と「あたし」はどうですか。
D:私は「あたし」って言うんですけど、「なんで「あたし」って言うことはいやらしいんですか」って聞いたら、あ、何か、下品?下品な言葉だねって言われて、私はあまりそういう違いわからないんですね。
H(女):私、ふだんは「わたし」を使いますけど、でも、親しい友達だと話すうちに、たぶん自分は知らないうちに「あたし」になるかもしれないですね。
で、テレビで見てる限り(→見るかぎり)、日本人の女子が「あたし」をしゃべる(→と言う)の聞くと、何となくかわいらしい感じがするのですけど。
X:私も話すときは「わたし」とちゃんと言いますが、e-mailを送るときは、今ふだんよりは今気持ちがいいという感情を表すために、わざと「あたし」という言葉を使って、そんな感情をもっと表すために、私は使う傾向があります。
市:皆さんは先生に対しては「わたし」を使うでしょう?
それが仲間になると変わるわけですよね。もっと親しくなると「ぼく」になるとか。
D:こないだの発表、Kさんの発表のことなんですが、そのとき「わたくし」って言ってた感じがしたんですけど。
今は質問されたら「わたし」って答えたんですよね。
K:あ、それはですね。あのー、けっこう長い間「わたくし」という言葉に慣れていましたが、最近、12月のスピーチコンテストの準備をしながらも、それは演説じゃないですか、でも、わたしが「わたくし」と発音したら、日本人の友達は「わたし」のほうがいいんじゃないかなと言いました。
それで、「わたくし」が正式な、自分としては、「わたくし」のほうが公式の場ではふさわしいと思ってきまして、たまに授業中にも、みんなの前で話しているからと意識するときには「わたくし」をよく使ってましたが、それが日本人にとっては硬すぎる言葉かもしれないと考えて、最近は「わたし」のほうに来ました。そういうわけです。
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丁:じゃ、次に行きます。外国人が間違ったら失礼だと思われるのでしょうか。あの、日本人に対して。(→日本人は、外国人が間違ったら失礼だと思うのでしょうか)。
L:はじめての1回は許されるかもしれないですけど、同じことを繰り返したら、やっぱりこいつは何なんだろうと思われるかもしれないですね。
K:それは聞いている人がどのくらい許されてくれる(→許してくれる)のかにもかかわっていると思いますが、まあ外国人だから、同じ日本人同士で話しているときよりはもっと理解してくれるとは思いますけれども、言葉というのは、あ、この人よくわからないからと考えても、ずーと何か耳ざわる言葉(→耳ざわりの言葉)を聞いているうちに、気持ち悪くなると思います。
ですので、失礼は失礼と思われるし(→失礼なことではあるし)、それはこっちのほうから気を使わなければならない問題だと思います。
B:私はあれ(→それ)は失礼とは思われないと思います。なぜかというと、皆さん、まず自分の母国語のことについて考えてみましょう。
もし、たとえば私が中国人で、だれか外国人が中国語でぼくと話す、私と話す場合に、ちょっと失礼というか間違った言い方を使っても私は許してあげると思う。
というのは、あの人(→その人)は外国人ですから、そもそもネイティブじゃないので、ほんとにすごく違和感を感じる場合は注意してあげるかもしれませんが。
ま、日本人は、それもたぶん人によって違うかもしれませんが、たぶん失礼までには行かないと思います。
T:Eさんはどう思ってます(→思います)か。
E:私も外国人が間違ったら(→間違っても)、失礼だとは思われない(→思わない)と思います。
自分としては外国語を勉強してるので、できるだけ自分が正しく使いたいと思います。
H:私の考えは、たぶん若者だとそんなに気にしないと思うけど、一般の方々だと、やっぱ外国人だとしても、聞くと違和感があるので、年配の人だと気になるかもしれないと思います。
X:私も韓国人として外国人が何か自分の国(韓国語)の呼び方とかを間違って話すときは、むしろ失礼だとは思えなくて、かわいいと思います。
でも、せっかく外国語を習う、習いますから、外国語自体だけじゃなくて、外国の、その国の文化とかいろいろな状況に合う言葉を使うのが一番いいと思って、その外国人が間違ったら直してあげたいと思いますし、私も間違ったら日本人に直してもらいたいと思います。
D:それに対して他の皆さんはどう思いますか。
K:直してほしいです、確かに。
はい、意味は(→が) わかったから(→わかったら)、あんまり直してくれないんです。
でも実は私は正しい日本語が話したいから、直してくれる人がいればよろしい、うれしいです。
司会T:私達は外国人だから、間違った日本語を使ってもたぶん日本人が(→は)許してくれるかもしれせんが、だからといって、気を使わずに勝手に使うわけにはいかないと思っています。やはり自然な日本語、日本語らしい日本語を使えるようにがんばりたいと思います。