9)新米日本語講師時代(2)

    1966年ごろは、日本語教育ではアメリカの構造主義全盛の、オーディオリンガルメソッドが主流の時代であった。オーディオリンガルメソッドというのはオーディオリンガルアプローチとも言われ、まず、「言語は構造体(structure)である」「言語は本質的に音声である」「言語には型がある」「言語習得は習慣形成の過程である」という考え方に基づいている。

オーディオ(聞いて、まず、その言語の音声的特徴を聞き分けて)、リンガル(話して、そして、自らの発音をそれに近付けるよう努力して)という「聞き話す」というアプローチをとる。その結果、その言語の形態や配列を学習して、それらを無意識に自動的に反射的に使えるようになるという言語教授法の特徴が出てくる。教授技法としては、教師が口頭で紹介する基本文を学習者が真似て発音し、それを繰り返し練習するということになる。

実際の日本語の授業は文型練習が中心で、学習者にリピートをさせたり、代入ドリルや拡大ドリルなどを駆使したパターンプラクティスが中心であった。

 良い日本語の先生は、学習者に1回でも多く、その単語や文を口にさせる先生であった。指一本で、リピートさせたり、ドリルをさせたりする先生が上手な、良い先生だと言われた。学習者を一分でも休ませてはいけない、時間一杯、できるだけ日本語を口に上らせるようにと指導され、私たちは一生懸命その努力をした。

    リズミカルな授業、間延びのしない授業運び、常に学習者が日本語を口にしている、これがその当時の模範的な日本語の授業であった。

    私なども、授業には決死隊のような緊張状態で臨み、授業は生徒との戦いみたいな感じもあった。そして、授業が終わると、先生のほうがぐったりしてしまうという感じであった。