18) 授業を見せていただく(3)

 そのころの名古屋大学水谷修・大坪一夫の両先生がおられ、藤原雅憲先生のような若手、そして、意欲的な非常勤講師がばりばり仕事に取り組んでおられた時期であった。

当時の名古屋大学の先生方の毎日の作業の一つに、新聞のテレビ欄を見ることがあった。つまり、授業に使えそうな番組がないかと、毎日テレビ欄を見て、良さそうなのがあれば即、録画するためであった。

テレビ欄を見て、録画することが日課というのは、私には非常に新鮮なことだった。

 

 大坪一夫先生の授業を見学させていただいた。大坪先生の授業もまた、発音の授業でった。

 フランス人が10名ほどのクラスでしたが、そこで大坪先生がされたのは、「こんにゃく」と「コニャック」と「婚約」という3つの語の発音練習でした。

90分の授業でしたが、先生はまず、3語の聞き分け練習にたっぷり時間をかけ、「こんにゃく」と「コニャック」と「婚約」が聞き分けられるかを、何度も繰り返し練習された。

 次に3語の言い分けというか、発音のし分けを徹底的にさせます。

フランスの学生は「こ/ん/にゃく」と「ん」に一拍取るとことができず、「こにゃく」と発音してしまう。また、「婚約」も「こにゃく」となりがちである。

大坪先生は学生一人一人に何度も何度も言わせる。

先生は特に舌の位置など音声学的なことは説明されない。もっぱら、先生の模範音を聞かせて、真似をさせる。学生が正しい音に近づくまで、何度も言わせる。

「こんにゃく」「コニャック」「婚約」の3語だけで、あくびをする学生も出てくる。うしろで見学している私もこっそりあくびをしてしまうほどだった。

 時間をかけただけあって、授業の終わり頃には、学生の大半は「こんにゃく」「コニャック」「婚約」が区別して言えるようになっていた。しかし、まだ不確かで、一度言えてもすぐ「こんにゃく」「婚約」が「こにゃく」になってしまう学生も何人かいたようだ。

 授業が終わって、大坪先生は、「まだ練習が足りない、もうあと2、3時間やればできるようになる」とおっしゃって、学生の退屈な様子など全然気になさっていないようであった。

 水谷先生や大坪先生の考え方は、学習者が来日して、日本語を勉強し始めたとき、一番最初に一番重要なことを徹底的に練習させて、学習者に気付かせておくということであった。

もし、文法が大切なら、最初に文法の重要性を叩き込んでおくということであろう。水谷、大坪両先生は、音、発音が大切と考えておられるので、最初に徹底的に発音練習のシャワーを、学生に浴びせかけたと考えられる。

 その当時は、日本語教育で、発音の重要性があまり認知されていない時代であったし、発音指導のできる日本語教師もほとんどいなかったと言ってよい。そんな中で、水谷、大坪両先生は、音声教育の芽を育てようとし始められていたのだと思う。そして、その現場を見学できた私は、本当に恵まれていたと思っている。