10)新米日本語講師時代(3)

    その後、KKC(関西研修センター)だけでなく、各センターにも専任の日本語講師が採用されるようになった。そして、数年後、全センターの専任講師の手で『Practical Japanese Conversation』とは違った、AOTS(海外技術者研修協会)の新しい教科書を作ろうという話が出てきた。

東京、横浜、そして関西研修センター3センターの専任日本語講師による、研修生のための100時間分の教科書『日本語の基礎』の作成作業が始まった。

    研修生が必要とする日本語と言えば、例えば、人に危険を知らせる、お腹が痛いときに痛いと言える、わからないことが質問できるなど、今の言葉でいえばサバイバルJapaneseということになるが、それを、きちんと文型として積み上げていける教科書というのがねらいになる。

学習者が必要とする初級の文型を厳選して、余分なものは教えずに、その選ばれた文型が自分のものとして発話できること、その文型を使って質問ができること、そうした力を身に付けさせるテキストというのが、『日本語の基礎』の考え方であった。

別の言い方をすれば、オーディオリンガルメソッドにのっとって、習ったことがすべて発話として口にできるようにするというのが基本的な考え方であった。

    『日本語の基礎』(1974)はのちに、自然な日本語の要素や会話的な要素を取り入れ、会話練習問題なども作って、『新日本語の基礎』(1990)として再編された。そして、1998年には、技術研修生用の特殊な語彙である、ボルトとかナットとかいう単語を一般的な語にし直し、『みんなの日本語』としてデビューした。

    『新日本語の基礎』『みんなの日本語』の母体とも言うべき『日本語の基礎』は、重要な文型を、あまり枝葉を付けずに、骨と皮のような形で提出することを目的としていた。コミュニカティブアプローチ推進派の人達からみれば、自然な日本語とは大きくかけ離れたところがあったかもしれない。

当時よく言われたことは、「あなたはどこへ行きますか。」のように「あなた」という単語を使っているがそれは相手に失礼だという批判、また、相手に向かって「何を食べたいですか」と聞くのはおかしいという批判もあった。(「何を食べたいですか」は、自然な会話では、相手に「◯◯さんは?」と聞くか、せいぜい「何を召し上がりますか」が適切と言える。)

    このように、いろいろ批判のあった『日本語の基礎』だが、これが『新日本語の基礎』と変わっても(たぶん現在『みんなの日本語』も)、何十年前からずっと日本語教育でベストセラーを続けている。日本の大学でも使われていて、いかにも文型、文型した日本語であるけれど、初級の学習者にはよけいなものがくっ付いていなくて分かりやすく、覚えやすい、そして、教師にとっても教えやすい教科書としての評価が高い。

後年、筑波大学からコミュニカティブアプローチを取り入れた初級教科書『Situational Functional Japanese』が出たとき、私も執筆者の一人だったが、台湾の出版社がぜひ当社で中国語版を出したいと申し出てきた。しかし、台湾のいろいろな日本語教育機関で『新日本語の基礎』が使われていて、SFJが入り込むのが非常に難しかったと聞いている。

『日本語の基礎』は、作成当時は、文型第一主義、パターンドリル至上主義、リピート中心で、一斉授業、教師主導型を反映した、その時代の教科書だったと言えるだろう。

 AOTS時代に、『日本語の基礎』の作成に関わったこと、そして、オーディオリンガルメソッドの基本である緊張したスピーディな授業のやり方、文型中心のドリルのさせ方を徹底的にたたき込まれたことは、非常に貴重な経験として私の中に残っている。のちのち、コミュニカティブアプローチが叫ばれ、授業にコミュニカティブを取り入れ始めても、AOTS時代に日本語を教える基礎・基盤を培ったという点で、得がたい勉強をさせてもらったと思っている。