14)名古屋時代(2)

 1975年代というのは、もうフランスなどではコミュニカティブアプローチが始まっていたが、日本語教育ではまだ直接的には始まっておらず、依然オーディオリンガルメソッドが続いている時代だった。

 私が非常勤講師としてお世話になっていた名古屋大学水谷修先生が、奥様(水谷信子先生)と共著で、『IMJ Introduction to Modern Japanese』という画期的な日本語教科書を出された。

 それは、今までの文法中心の積み上げ式の教科書ではなくて、会話形式になっている本文の中に、どんどん生の話しことばが入ってきているというものだった。例えば、終助詞「あそこに喫茶店がありますね」の「ね」とか、「いろいろな人に会いましたよ」の「よ」などが早い段階で入ってくる。

 また、理由を表す「から」も、「おなかが痛いから、病院へ行く」の、2文をつなぐ「から」よりも先に、「ちょっと待って下さい。お茶を入れますから。」の、終助詞的な「から」が出てくる。

 文型中心の教え方に慣れていた私には、IMJは非常に新鮮に思えた。しかし、2文接続の「から」を入れないで、終助詞的「から」をどうやって説明するのか当惑した。「ね」「よ」の使い分けを、学習者に質問されてもうまく答えられなかったように記憶している。

 また、IMJには、comprehension(聞き取り)の練習問題が付いていて、1課から習っていない語彙や文法がどんどん出てくる。学習者の中には習っていない表現や語彙にこだわって、次に進めないという人も多く、comprehensionの授業で新出項目の文法を説明する事態もしばしば起こった。この聞き取り練習は初級の人には使えないと何度も思った。

 これは、comprehension問題の作成意図を理解していなかった私の間違いだった。

初級者にも自然な日本語を聞かせ、もちろんその中には習っていない単語や文法があるのは当然であるが、そうしたわからない部分があっても、それにとらわれずに会話の要点をつかむ、そういう聞き取り能力を育てようというのがIMJの意図だったのである。

 

 名古屋大ではもちろんIMJを使っていたが、IMJの特徴は、文法があまり見えてこないという点であった。そこで、同大では文法もきちんと押さえてということで、新しい教科書作成の試みがなされていた。

 最初はIMJの文法説明からという形で、最後には名古屋大の教科書になったものが『A COURSE IN MODERN JAPANESE』、CMJである。

(CMJは改訂版が2002年に出版され、いろいろな面で大幅に改定が加えられている。ここで取り上げるのは旧版のCMJについてである。) 

 この教科書はいろいろ特徴があるが、その中でも特徴的なのは、第1課が動詞文、つまり、「アリスさんがテープを聞きます」というような、動詞文から始まっていることである。

 普通、多くの教科書は、たいてい「私は田中です」のように、「NはNだ」という文の形、つまり名詞文から入っている。水谷先生のIMJでも1、2課は名詞文で、3課で「~に~がある」の存在文、第4課ではじめて「どこへ行くか」の動詞文が出てくる。

 多くの教科書で名詞文が先に来る理由は、やはり動詞文「田中さんが東京に行く」より名詞文「私は田中だ」のほうが、やさしいからだと言える。

 しかし、CMJは、学習者には動詞文のほうが重要だという観点から、第1課の文法説明(Notes on Sentence Grammar)で、詳しく文の構造を説明している。

 そこでは、まず、いくつかの動詞文を出して、文法的な特徴を学習者に見つけさせる形をとる。その次に、動詞の分類、グループ分け(1課から-masu formだけでなくdictionary formも導入する。)を説明し、次に、その動詞がとる助詞、例えば「行く」なら、主語の「が」と方向の「へ」をとることを説明している。

 助詞としての機能を説明するなど、文法説明に実に7頁とっている。

 それまでの教科書は、文型中心で、あまり深く文の構造など説明していなかったが、CMJは、文法を真っ向からとらえて、学習者に文の構造を示そうとしたものであった。そうすることによって、学習者が自分で、文法を組み立てて、自分の言いたい文を作っていけるという考え方であった。

 これは、オーディオリンガルメソッドに見られるように、たくさんの例文に接して、そこから構造や文法規則を帰納法的に学ぶより、文法規則や構造を十分に説明してから具体的な例を紹介するほうがよいという文法観から来ていると考えられる。