250)果物屋から魚屋へ

 子供のころ、家から10分ほど行ったところに商店街があった。入口から1キロぐらいの左右に店が立ち並び、突き当りには小さな市場があった。商店街の天井は、アーケードがかけられていた。

         

 商店街の店々はすべて庶民的な雰囲気で、入口から、酒店、薬局、果物屋、八百屋、パン屋、豆腐屋、魚屋、漬物屋、雑貨店、洋服屋、小さいスーパーマーケット、などいろいろの店があった。

母といっしょに、また、一人で、何度もその商店街には足を運んでいて、私にとっては馴染みであった。

 

     

 

 入口近くにある果物屋は一盛りいくらのみかんやりんごも売るけれど、もう少し大きい箱にぶどうや梨など高級品が並べてあることもあった。贈答用にこの果物屋を使う人も多かった。どちらかというと、こぎれいな、ちょっとしゃれた、高級な果物屋という印象を受けた。

 店員さんの中に1人の若い女の子がいた。年のころは20歳をちょっと過ぎたぐらいに見える。丸顔で、いつも笑顔の、愛想のよさそうな子だ。

その果物屋さんは繁盛していた。彼女の笑顔と掛け声が店を明るく、華やかにしていて、つい足を一歩店の中に進ませてしまう魅力があった。

 

「いらっしゃい、いらっしゃい。今日はりんごが安いですよ。」とか、「いらっしゃい、いらっしゃい、この桃はすごく甘~いよ」とか、大きな声で叫んでいた。

 

       

 私は商店街に入るたびに、入り口にある、その果物屋を覗いてしまう。果物につられるというのもあったが、目ではあの元気な美人を探していた。そして、ほとんどの日に彼女の笑顔を見ることができた。彼女の笑い声を聞くことができた。

 

 ところが、ある時のことである。商店街に行って果物屋を覗いたら、あの美人のお姉ちゃんがいなかった。店もなんだか静かである。

 

「ああ、休みなのかなあ。珍しいなあ。」

 

私はそのまま商店街の中を歩いていった。彼女のことは忘れていた。

 

 そして、数日後のことである。

 私は商店街に行った。果物屋の彼女はやっぱりいなかった。

しばらく歩いていくと、いつもの魚屋さんがあった。そして、私は魚屋さんを覗いて、びっくりした。

 

 あの、果物屋のお姉ちゃんがいたのである。

 

彼女は、長靴を履いて、ゴムの黒い前垂れをして、まるでもう長く魚を扱っているみたいに、魚屋に溶け込んでいた。

「いらっしゃい、いらっしゃい。今日はアジがお買い得ですよ。」

などと叫んでいる。

 私は最初理解ができなくて、なぜ彼女が魚屋にいるのかと思った。

しかし、その疑問はすぐに解けた。

 

      

 

 笑顔で客の呼び込みをしている彼女の横には、美男子で、スラッとした魚屋のお兄ちゃんがいたのである。

彼は、魚屋の息子として、今までもここで働き続けていた。

魚を買うのは母なので、私はあまり見かけたことはなかったが、いつもの魚屋の「アンチャン」だ。

 たしかに商店街の魚屋さんとしては、垢抜けした、若々しい、ハンサムボーイである。彼女はキラキラ輝きながら、時々その男性のほうを見て笑顔を見せる。男性もまんざらでにない顔をして笑顔で応える。

 そして、彼らは二人で「いらっしゃい、いらっしゃい。」と叫ぶ。

 

     

 

 彼女は、果物屋さんで見ていた彼女そのままだった。果物屋だから魚屋だからといって、雰囲気が変わるわけではなく、笑顔を変えるわけでもなく、態度を変えるでもなかった。

 

私は思った。

「えーっ、果物屋のほうがいいのに・・・。」

私は素直にそう思った。

「なんで、くさい魚屋なんかへ!」

 

 魚というと、私はくさい匂いを連想する。魚を料理したりすると、手やまな板、「流し」全体に付いた匂いがなかなかとれない。石鹸で洗ってもいつまでも匂いが残るので、いつも最後にはレモンの欠片や、レモン液をこしくって匂いをごまかす。

 

 香りのいい、色のきれいな、夢のある果物でなくて、なぜ魚を扱うお店になんか!

彼女は果物屋が一番に似合ったのに。

 

 しかし、あとで人から聞いて納得がいった。

 商店街一の美女と美男が結婚したのだ。せまい商店街だから、魚屋の青年も、果物屋の美女には気がついていたのだろう。美女も魚屋のカッコいい青年に気がついていただろうし、彼からのプロポーズなら甘い匂いから生ぐさい匂いに変わったとしても、それはむしろ嬉しいことだったにちがいない。

 魚屋で見た彼女の笑顔がそれを示していた。

      

 

 そのころは私も20歳過ぎの女性であった。ふと、私ならどうするかなと考えた。

4、6時中生ぐさい匂いがする生活は嫌だ。しかし、好きな人、結婚したいぐらい好きな人なら、どうするだろうか?