249)漫才師「大助花子」

          

 

 皆さんは上方演芸の漫才師「宮川大助花子」夫妻をご存じだろうか?

 

 漫才では花子がポンポンとまくし立てる小うるさい女房役、大助は常にヌーボーとして、受けに回る夫役を演じる。花子の言いたい放題のスピード感と、ゆったり、ボウヨウとした大助のスローなやりとりが観客の人気を集める。

 

 花子がかかあ天的に「しゃべくり」の主導権を握っているが、実際は大助がネタ・演出を全て考えている。実生活では「かかあ殿下」とか「亭主関白」というわけではなく、むしろ夫婦仲は良い。

 

           

 2人は、2011年に第61回文化庁芸術選奨 文部科学大臣賞大衆芸能部門を受賞した。また、2017年には、2人そろって紫綬褒章を受章した。

 

       

 

しかし、人気絶頂であった大助花子夫妻は順調なばかりではなかった。

 

1988年に花子が多発性骨髄腫と診断を受け、同年6月に入院、抗がん治療を開始した。2020年4月には退院できたが、それ以来、奈良県内の自宅で、花子は夫大助らに介護を受けながら、リハビリに励んできた。

 先日テレビ放送された「大助花子」は、5年間の病いを乗り越え、「なんば花月」に復帰・出演をするまでの、夫婦の壮絶なる闘いが感動的に描かれていた。

テレビには、ベッドの上の花子さんの大写しが放映されていたが、薬のせいか、床ずれのせいか、彼女のお尻が真っ赤にただれているのが、痛々しかった。

 

 2人の「なんば花月」への復帰は、まず地下にある小ホール(YES THEATER)で行われた。

 地下に降りる階段にはエレベータがない。ほんの数段なのだが、花子は階段が上れない。見ていて歯ぎしりしたくなるような、一足一足、ゆっくりゆっくり這い上がるように上がり、何段か上に置かれた車椅子に乗り込む。

車椅子に乗り込む際の身体の移動も、手間取ってなかなかできない。

 

 舞台袖に到着する間もなく、舞台へ登場。それまで足取りが重く、フーフー言いながら車椅子を押していた大助さんの足取りが、急に軽くなる。足がしっかりし、歩幅が広くなり、最後にはスキップでもしている感じだ。

 

 2人は舞台に立つ。正面を向かって大助さんが右に立ち、花子さんが左の車椅子に座る。ベッドで寝ていたころとは全く異なり、明るい化粧をした花子さんは、とてもきれいになっている。

 

 笑顔の花子さんがしゃべり出す。

 特に長い挨拶はない。

 

       



「花子です。横にいるのが大谷翔平です。」

 

 大助さんがそれに合わせる。

 

「ピッチャーとキャッチャーの二刀流です。」

 

 そこを花子さんが突っ込む。

 

「ピッチャーとキャッチャー、同時にやれないでしょ。投げて、すぐ受けて、そんなことできない。ピッチャーとバッターでしょ!」

 

「ああ、そやそや、ピッチャーとバッターや。」

 

           

 

 会場が爆笑に包まれる。

 昔の大助花子と全く変わらない。スピードのテンポ、勢い。花子さんの大きな明るい声、現役のころと全く遜色がない。

 漫才は聞かせるものだから、声が上手く出ないとか、言葉がもつれるなどは致命傷になるが、花子さんの場合は、前と同じままだった。

 

 今は車椅子に座っているが、それも時間の問題で、リハビリ次第によっては立ち上がって漫才ができる日も近いであろう。

 

 彼らの復帰公演は大成功に終わり、「なんば花月」での正式復帰は間を置かず、数日後に執り行われるという。