130)浪花千栄子の大阪弁

 

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 5月24日で終わってしまったが、NHK朝ドラ「おちょやん」の主人公千代は、往年の大女優浪花千栄子をモデルにしたドラマであった。

 浪花千栄子は1907年(明治40年)11月19日 から1973年(昭和48年)12月22日)まで生きた人である。私の世代は、30年弱の間、彼女をラジオで、テレビで、そして映画で見て、笑い、泣き、喜びも悲しみも堪能させていただいた世代である。

 浪花千栄子自身はそれほどの美人ではない。やせ型で、おしゃべりで、口うるさくて、しかし、その人間的温かさと小股の切れ上がった話し方は、私の心に深く刻みついている。 

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 今の漫才師やお笑いの人達が使う大阪弁とは一線を画した。彼女の大阪弁は、非常に上品な印象を与えた。私は最近まで、船場大阪市中央区)の商家の女将さんの言葉だと思っていた。船場は江戸時代から船場商人が活躍した問屋街でもある。

 

 浪花千栄子の話し方は例えば次のようである。(( )の中は標準語)

 

・そうだすか。(そうですか)

・そら、違いますねん。(それは違います)

・そんなことゆうたらあきまへん。(そんなこと言ったらだめです)

・きれいになりはったんとちがいますか。(きれいになられましたね)

・あったこうて、あもうて・・・(あたたかくて、甘くて・・・)

・そんなとこへは行かしまへん。(そんなところへは行きません)

・気をつけて行きますんやで。(気をつけて行くんですよ)

 

 大阪弁について、インターネットに出ているいくつかの資料を簡単にまとめてみる。

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 大阪弁はざっくりと、「河内弁」「摂津弁」「泉州弁」の3つに分かれる。

「河内弁」は、北河内方言(枚方市・交野市)と中河内方言(寝屋川市守口市大東市東大阪市・八尾市・ 大阪市東部)に分かれる。南河内弁はそれより南の地域で話されている言葉である。

 一般に河内弁は「怖い」「汚い」「悪い」などのマイナスイメージを内外で持たれている。

 私は北河内の出身だが、北河内弁は京ことばの影響を受けているので、汚いとされる南河内弁とは一線を画している。「どりゃ―」「何してけつかるねん」「ええ加減にせーよ」「そんなん知らんやんけ」などは北のほうでは一切使わない。

 「摂津弁」は大阪市および北摂阪神間兵庫県南東部で使用される。神戸弁と共通する特徴「もう帰っとうよ」「行きようよ」なども見られる。また、高槻市地域では京言葉の影響を受けており「そうどす(京都は「そうだす」)、「そんなん知らひん/知らへん」になったりする。

 「泉州弁」は、泉北地域と泉南地域に大別され、厳密には堺弁、泉北弁、泉南弁に分類される。泉南弁は和歌山弁や阿波弁等との類似点が多く、南近畿方言に属するとする説もある。 

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 「河内弁」 「摂津弁」「泉州弁」以外に、「船場言葉」「島之内言葉」と言われるものが存在する。「船場」は大坂の町人文化の中心となったところで、「船場言葉」は江戸時代から戦前期にかけて規範的・標準的な大阪弁とみなされていた。

 浪花千栄子大阪弁は「船場言葉」と勘違いされることもあるが、「船場言葉」ではなく、「島之内言葉」であるという。

 島之内は大阪市中央区の地名で、船場の南にあり、表堀川・道頓堀川東横堀川西横堀川に囲まれた地域で、問屋が多い。「船場言葉」が洗練された商人の言葉であるのに対し、船場のやや南に位置する「島之内」は芸事や芝居が盛んなところであった。今言う「ミナミ」とは元々、島之内のことを指す名称であった。浪花千栄子の言葉は、「船場言葉」に影響を受けた芸事の盛んな「島之内」で磨かれた言葉であると言える。