121)御徒町のうどん屋さん

            f:id:hattoritamo:20210323122742p:plain

 自分自身はどちらかというと、せっかちである。特に用事とか仕事とかは、さっさと終わらせたいほうである。現役中は毎日ほぼ5つの仕事を抱えていた。それは授業の準備であったり、教材作成であったり、講演会の準備であったり、掲載コラムの下書きであったりする。

 1つ1つに時間をかけていたら、5つの仕事は終わらない。かなりのスピードで1つずつ終わらせていく。

 他の人は、それだけ速くやれるのは集中力があるからだと言ってくれる。いや、「言ってくれた」であろう。現在は、高齢になってスピードが遅くなっているから、集中力そのものもかなり衰えてきている。

 

 私は素早い処理能力が人知れずに自慢であった。自慢であるとともに、それは与えられた才能であると思っていた。

 その思いが、はかなく壊れていったのは、御徒町うどん屋であった。

 

 午前中早めに集まりがあるので、亭主と私は朝食を食べずに家を出た。朝ごはんを食べる時間がなかったこともあったが、たまには外で食べるのも楽しいかなという気持ちもあった。

 マンションから一番近い駅は、山手線の御徒町駅であった。駅前にうどん屋さんが開いていた。手っ取り早く食べられるということで、2人とも迷わずその店に入った。  

           f:id:hattoritamo:20210323122850p:plain

 店の中は人気がなく、カウンターの向こうに中年のおばさんがぽつんと一人立っているだけだった。店を開けて間もないからだろう、客は誰もいなかった。

 

「天ぷらうどん2つ」

 

 夫がおばさんに言った。

 おばさんは、「はい」と言って、でも、すぐには動かず、自分の周りをきょろきょろ見回していた。1分もしただろうか、突然おばさんは小さくではあるが、両手を胸で握り合わせ、意を決したような表情をした。

 そのあとが強烈だった。後ろの台からなべを取り出す。箱からうどんを取り出す。うどんをお湯につける。一方で、スープを温めて、どんぶりに入れる。天ぷらを取り出してくる。ねぎを切る。うどんをお湯から取り出す。どんぶりにうどんを入れる。天ぷらをのせる。かまぼこを入れる。ねぎをのせる・・・。

          f:id:hattoritamo:20210323123103p:plain

 おばさんはこれらの仕事をものすごいスピードでやるのである。

 本当にものすごいスピードで、迷う瞬間が一時もなく、次々と動作を行う。

 

「お待ちどうさま!」

 

 本当にあっという間に、天ぷらうどんが私たちの目の前に置かれた。

          f:id:hattoritamo:20210323123156p:plain

私は彼女の動作の機敏性、迷いのなさ、息をもつかせぬスピードに圧倒させられた。

 

「あー、こんなに早く、手際よく仕事をやる人がいるんだ!」

 

私は、心ひそかに抱いていた自分の、「処理能力の速さ」に対する自信を、木っみじんに打ち砕かれてしまった。

 

「手際が早いですね」と私は彼女に言ったが、彼女は微笑んでいるだけだった。

 

 私は彼女の手際の良さに圧倒されながら、一方で、なぜかこんな思いを抱いていた。

 

「こんなに超特急で対処しなくてもいいのに・・・」

「速いだけがいいというものではない」

「速さだけのために動き回っても、それはそれだけだ」

「速いということは、そう大して美しいことでない」

 

私は彼女の中に自分自身を見た。毎日5つの仕事をテキパキとやり飛ばしている自分を、彼女の中に見た。

自分が今まで自慢に思っていた「速い」ということは、他の人もやれることなのだ。それは特別なことでも何でもないのだという、がっかりした気持ちがそう思わせたのかもしれない。

 

ともかくその時は、自分の鼻っ柱がくじかれたときであった。

 

       f:id:hattoritamo:20210323123437p:plainf:id:hattoritamo:20210323123454p:plain