自分自身はどちらかというと、せっかちである。特に用事とか仕事とかは、さっさと終わらせたいほうである。現役中は毎日ほぼ5つの仕事を抱えていた。それは授業の準備であったり、教材作成であったり、講演会の準備であったり、掲載コラムの下書きであったりする。
1つ1つに時間をかけていたら、5つの仕事は終わらない。かなりのスピードで1つずつ終わらせていく。
他の人は、それだけ速くやれるのは集中力があるからだと言ってくれる。いや、「言ってくれた」であろう。現在は、高齢になってスピードが遅くなっているから、集中力そのものもかなり衰えてきている。
私は素早い処理能力が人知れずに自慢であった。自慢であるとともに、それは与えられた才能であると思っていた。
その思いが、はかなく壊れていったのは、御徒町のうどん屋であった。
午前中早めに集まりがあるので、亭主と私は朝食を食べずに家を出た。朝ごはんを食べる時間がなかったこともあったが、たまには外で食べるのも楽しいかなという気持ちもあった。
マンションから一番近い駅は、山手線の御徒町駅であった。駅前にうどん屋さんが開いていた。手っ取り早く食べられるということで、2人とも迷わずその店に入った。
店の中は人気がなく、カウンターの向こうに中年のおばさんがぽつんと一人立っているだけだった。店を開けて間もないからだろう、客は誰もいなかった。
「天ぷらうどん2つ」
夫がおばさんに言った。
おばさんは、「はい」と言って、でも、すぐには動かず、自分の周りをきょろきょろ見回していた。1分もしただろうか、突然おばさんは小さくではあるが、両手を胸で握り合わせ、意を決したような表情をした。
そのあとが強烈だった。後ろの台からなべを取り出す。箱からうどんを取り出す。うどんをお湯につける。一方で、スープを温めて、どんぶりに入れる。天ぷらを取り出してくる。ねぎを切る。うどんをお湯から取り出す。どんぶりにうどんを入れる。天ぷらをのせる。かまぼこを入れる。ねぎをのせる・・・。
おばさんはこれらの仕事をものすごいスピードでやるのである。
本当にものすごいスピードで、迷う瞬間が一時もなく、次々と動作を行う。
「お待ちどうさま!」
本当にあっという間に、天ぷらうどんが私たちの目の前に置かれた。
私は彼女の動作の機敏性、迷いのなさ、息をもつかせぬスピードに圧倒させられた。
「あー、こんなに早く、手際よく仕事をやる人がいるんだ!」
私は、心ひそかに抱いていた自分の、「処理能力の速さ」に対する自信を、木っみじんに打ち砕かれてしまった。
「手際が早いですね」と私は彼女に言ったが、彼女は微笑んでいるだけだった。
私は彼女の手際の良さに圧倒されながら、一方で、なぜかこんな思いを抱いていた。
「こんなに超特急で対処しなくてもいいのに・・・」
「速いだけがいいというものではない」
「速さだけのために動き回っても、それはそれだけだ」
「速いということは、そう大して美しいことでない」
私は彼女の中に自分自身を見た。毎日5つの仕事をテキパキとやり飛ばしている自分を、彼女の中に見た。
自分が今まで自慢に思っていた「速い」ということは、他の人もやれることなのだ。それは特別なことでも何でもないのだという、がっかりした気持ちがそう思わせたのかもしれない。
ともかくその時は、自分の鼻っ柱がくじかれたときであった。