211)名歌手ちあきなおみさん

                     

 

 私は歌手の中では中島みゆきが「推し」であるが、その次に好きな歌手は「ちあきなおみ」である。ちあきさんの曲の中では、レコード大賞を獲得した「喝采」も好きだが、デビュー曲「雨に濡れた慕情」、そして「黄昏のビギン」や「円舞曲(ワルツ)」「夜間飛行」「ルージュ」などが好きである。

 

     

 「ちあきなおみ」は、美空ひばりが「自分に続く人は彼女だ」と言ったというほど、歌唱力に優れた歌手である。その彼女が夫である郷鍈治(ごうえいじ)さん(元日活俳優。石原裕次郎小林旭と同時代。主に悪役として活躍した。得難い持ち味の俳優であった)の死去とともに、引退宣言をしないまま歌うことをやめてしまった。彼女が44歳のときである。

         

 今は、彼女ももう70歳半ばであるが、あれだけの歌手が、なぜ、あっさりと歌手人生から降りてしまったのか、そして、現在はどういう生活を送っているのかは、世間の人々だけでなく、私自身も知りたいことであった。

 

 先日たまたま『ちあきなおみ 沈黙の理由』(2020)という、元マネージャー(古賀慎一郎)が書いた本を読んだ。

         

 

 古賀さんは20歳という若い頃、ちあきなおみの運転手兼マネージャー兼スタッフという立場で、仕事に就いた。しかし、就職後1年で、ちあきさんの夫、郷鍈治さんの死に目に遭う。

 郷さんの死は、同時にちあきなおみの歌手生活終焉となったが、古賀さんは一人ぽっちになったちあきさんを助け、7年間ずっと彼女を支えた。

 古賀元マネージャーの著作からは、私が、いや、他の人も知りたかっただろう「歌わなくなった理由」をはっきりつかむことはできなかった。古賀さんが若かったがゆえに、ちあき夫妻に対する遠慮もあったろうし、夫妻の心情に深く立ち入る経験も洞察力も十分でなかったのだろうと思う。

 しかし、彼の著書を通して、そして、これはあくまでも想像の域を出ないが、私なりに彼女が歌わなくなった理由を考えてみた。

 次の4つが考えられるのではないだろうか。

 

1)現役の間、ちあきさんは全身全霊でコンサートやディナーショー、リサイタルなどに打ち込み、エネルギーを使い切ってしまった。

 彼女の歌はいつも迫力がある。迫力がありすぎて、聞いているのがつらい時がある。彼女は聞き手を「つらい気持ち」にさせるほど、自分の歌に精力を注いでいた。

また、郷さんのちあきさんに対する最期の言葉が、「もう無理して歌わなくていいよ」だったというのも、引退の理由に考えられる。

 

2)彼女は夫、郷さんのために歌ったと言われているが、たぶんそれが真実だろう。彼女は郷さんがいるからこそ、また、郷さんがマネージしたコンサートやディナーショーであったからこそ、全身全霊でぶつかったにちがいない。彼女の郷さんへの愛がそれだけ深かったとも言えるし、「郷さんの前ではどこか緊張した」と生前言っていたように、彼への感謝や義務感のようなものが、彼女を歌唱へのエネルギーとなったのであろう。

 

         

 

3)ちあきご夫妻のきずながあまりに強すぎた。実兄である宍戸錠(元日活俳優)が言うように、2人は2人の中に入り込みすぎていたのかもしれない。

        

(これも有名な話だが、郷さんが荼毘に付される時、ちあきさんは「私もいっしょに焼いて!」と号泣したという。)

 

4)ちあきさんが働かなくても、ちあきさんには十分なる年収があった。一説には歌唱印税(復刻版のアルバムやCDなどの印税、楽曲使用料など)等で、今も年間1500万円の収入があるという。

 

 ちあきさんは昔型の女性であったのかもしれない。今様の女性なら、世間からあれだけ求められ、自分も自信のある仕事なのであるから、歌を続けることもできたはずである。

 

 ちあきさんは、両親の住んでいた神奈川県の二宮町に戻り、買い物も月に2度ほど行くだけという。郷さんの月命日には、東京都港区にある郷さんのお墓に参り、そこで長い時間を過ごすという。