10月26日の「眞子さま・小室圭さんの記者会見」はお2人、特に眞子さまがどんなコメントをなさるか楽しみでもあった。
約11分余りの口頭でのお話で、いくつか印象に残ったことがあった。1つは眞子さまの声が高くて可愛らしいこと。これが30歳の女性の声かと思った。緊張していらっしゃるのもあると思うが、ハイテンションだったと言えば言えないこともない。
また、いくつかの直接的な表現が耳に響いた。皇族のおっとりした会見を想像していたので、それとは程遠い、やや強い口調の、主張のはっきりした発言が続いた。
記憶に残った言葉は、
「私にとって圭さんはかけがえのない存在です。」
「私たちにとって結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な
選択でした。」
「私は眞子さんを愛しております。」
「婚約に関する報道が出て以降、圭さんが独断で動いたことはありませんでした。」
「圭さんの留学については圭さんが将来計画していた留学を前倒しして、海外に拠点を
作ってほしいと私がお願いしました。」
「私は眞子さんを愛しております」以外は眞子さまのお言葉である。彼女がどんなに思い詰め、決心をし、行動を起こしたのかが分かったような気がした。強いのは小室圭さんではなく、眞子さんだったのだ。
1度も会うこともなく3年間も待ち続けたのだから、小室さんはきっと優しい人なのだろう。この夫婦はきっと恐妻家、いや、「かかあ天下」になるなあと思った。
もう1つ引っかかった、難しい言い回しがあった。
「『誤った情報が、事実であるかのように取り上げられ、いわれのない物語となって広がっていく』ことに恐怖心を覚えた。」
これは簡単に言えば、「うその情報が、まるで本当のことのように、全く違う話になって広がっていく」ということだろう。どうしてこんなに遠回しの言い方をするのかと思ったが、何度も読んでいると、なかなかよくできた表現だとも思えてくる。
そうだ、これこそ、SNSや雑誌やワイドショーなどが、連日物事を少しずつ膨らませ、違った内容に変えて情報を流していく、そのプロセス(過程)を指摘した言い方なのだ。マスコミの連日の、モヤモヤとしたやり方に対する批判が、この文の中には込められている。真子さまたちは、慎重にこの表現を作られたのであろう。
よく聞く話は、皇族の方の中には、「早く皇室から抜け出たかった」「自分達は籠の中の鳥だ」と思っておられる方がいるということである。真子さまや佳子さまのような若い方々は、もしかしたら、そういう思いを持っておられるかもしれない。
元旦の祝賀や、天皇陛下誕生日祝賀などには、何万という国民が皇居に集まる。旗を振るその姿を見ると、日本人にとって、やはり皇室は大切なのだと思う。多くの人が天皇陛下を皇后を、そして、皇族を敬愛しているし、だからこそ、そこに皇室の存在も必要となってくるのであろう。
また、東北大震災のような大きな震災が起きたとき、心を結集して立ち直る「よすが」となれるのも、やはり天皇陛下御夫妻の存在であり、皇族の方々の力であろう。
そう思いながら、ふと、「本当にそうだろうか?」と思うときがある。時代は変わりつつあるのではないかと思うことがある。平成天皇が象徴天皇の存在意義として、国民に寄り添う皇室であることを第一義に掲げ、実行しておられるが、本当にそれでいいのだろうか?
他の皇族の方々は、皇族として生きることの意義をどのように考えておられるのだろうか。
眞子さま、佳子さまが、もし、皇族という身分に疑問を感じておられるとしたら、私達はこの皇族制度をこのままにしておいていいのだろうか?
品位ある皇族制度を守りながら、皇族の方々が、もっと自由に発言し、行動できる制度の変更はできないものだろうか?
眞子さまのご結婚に際して、いろいろ考えてしまうきのう、今日である。