228)なつかしのパチンコ店

 何年も前の話。まだ現役のころ、仕事が終わって事務所で雑談をしていた。

 課長が聞いてきた。

 

         

 

「〇〇さんのご主人、どんなテレビ見るの?」

「うーん、スポーツかな。野球中継が好きみたいです。」

「へえ、野球見るの?」

         

 

 うちの夫はそのころは隣の事務所にいた。自分からあまり話そうとはしない、無口な堅物だった。少なくとも、皆にはそう思われていたような人だった。

 

「うちのはパチンコもしますよ。」

 

         

 私は話を盛り上がらせるためか、ついそんなことを言ってしまった。

それには課長はびっくりしたようだ。

 

「〇〇君が、パチンコ?」

 

 信じられないような表情でそう言って、課長はそのまま黙ってしまった。

「ああ、言わなきゃよかった」。私は、夫の評価を下げるようなことを言ってしまって、大いに後悔した。堅物で通っていたのに、課長以下、事務所にいた皆はどう思ったのだろう。

 

 長い結婚生活で、本当に1、2年ぐらいだったと思うが、長男と長女が小学校の低学年のころ、夫は、たまに紙袋にお菓子、それもチョコレートを一杯詰めて、持って帰ってくることがあった。

 話を聞くと、パチンコで獲ったと言う。

 

   

 

 私はパチンコに対してあまり偏見を持っていなかったので、というより両手に抱えるような紙袋いっぱいのチョコレートのほうが嬉しくて、夫に文句を言ったり、問いただすようなことはしなかった。

 袋の中には、色んなメーカーの、ありとあらゆるチョコレートが入っていた。板チョコもあったし、チョコボール型のもの、お菓子型のもの、ナッツの入ったものなど、大小詰め込まれていた。夫は、子供のために持って帰って来たのだが、子供にどの程度与えるかは、母親である私の裁量に任されていた。考えようによっては、袋一杯のチョコは全部、私のものだということもできた。

 

 私はまずは、袋一杯のチョコの半分は別の箱に入れて、自分のために隠しておいた。そして、残りの半分を、毎日少しずつおやつとして子供に与えた。

 たっぷりのチョコが自分の手の届くところに、自分の支配下にあるというのは、本当うれしいことであった。

         

 そんなことが、2、3回あったろうか。あとはチョコが2、3個とか、「今日はだめだった。」とか言って帰ってくる時もあった。

 

 仕事が忙しくなったのか、パチンコの玉が上手く入らなくなったのか、その後チョコのお土産は回数が少なくなり、全く持って帰ってこない日が増え始めた。

たぶんそのころが夫にとってもパチンコとの決別のころであったのであろう。

 

 2、3度、夫とともにパチンコ店に入ったことがある。あのパチンコ店の「チンジャラジャラ」という大音量が苦手で、「よく長時間、あの騒音の中で耐えられるなあ!」と思った。

 仮に千円で玉をもらっても、「あ~あっ!」という速さで、玉千円分が消えてしまうので、面白くないなあ、やりがいがないなあという気持ちも強かった。

 

         

 半年ほど経って行ってみたときには、パチンコ店のゲーム台が大きく変わっていた。

 以前は、客がいちいち穴の中に玉を入れていたのが、自動で玉が出るようになり、玉の打ち方も、すべてが機械任せになっていた。打ち方の強弱も、客が手加減できなくなっていた。

 

     

 

元々それほどの興味もなかった夫も、どんどんパチンコに対する興味が減ってきて、自然な形でパチンコ店とはお別れすることになっていったのだろう。

 

 夫のために言っておくが、夫は真面目に「馬鹿」が付くほどの真面目人間で、賭け事は一切やらない。競馬も競輪もやり方さえ知らないのではないかと思う。

     

 あのパチンコ時代は彼にとって何だったのであろうか? ふっとしたときの息抜きだったのか。今から考えると、謎(なぞ)のようである。