126)バスの中のご親切

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 長男がまだ赤ん坊のころのことである。そのころは両手が空くというので、長男をおぶって出かけることが多かった。男の子だったこともあって、1歳近くなるとかなり重くなる。痩せ型の私の肩におんぶ紐が食い込んでくる。

 ある日、買い物の帰りにバスに乗った。バスは混んではいなかったが、空いている席はなかった。私は吊り革をしっかり持って、運転席から少し離れたところに立っていた。

 息子は背中で眠っている。

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 しばらくして、私は自分が小銭を持ち合わせていないのに気がついた。持っているお金は1万円札だ。久しぶりのバスだったからか、うっかり小銭を用意するのを忘れてしまっていた。

 早めに両替しておいたほうがいいと私は思った。バスがバス停に止まったとき、私は運転手さんに近づいて、「1万円でお釣りありますか?」と聞いた。

運転手さんは不愛想に「ない」と言った。

 私は仕方がないので、また、つり革のところに戻って、どうしようかなと考えた。

だんだん降りる予定のバス停が近づいてくる。

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 私は頭の中でいろいろ考えを巡らしていた。小銭がバッグのどこかに入っていないかとも考えたが、最後の店で小銭を使い切ってしまっていた。

 そのときだった。私の前に座っていた女性が私に何か話しかけた。

 私はバス賃のことで頭が一杯だったので、前に座っているお客さんのことを気にかける余裕がなかった。

 

「どうぞ」。

 

 その女性が再度言った。上品な感じの中年の女性であった。

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 その女性の手のひらには100円玉があった。彼女は100円玉を私に差し出しているのだ。

 私はどぎまぎした。「えー、今借りてもお返しできないじゃないか」と思った。

女性は私の気持ちを察したかのように、「返さなくてもいいんですよ。使ってください」と言った。本当ははっきり覚えていないが、そう言ったように覚えている。

 

 降りるバス停が近づいてくる。私は頭を何度も下げ、「すみません」を連発して、そして、その100円玉を受け取った。当時はバス賃は大人が100円であった。

 

 バスが停留所に到着した。私は女性にまたお礼を言って、慌ててバスの乗降口に向かった。そして、そして・・・・。私はバスを降りた。

 バスは私を降ろして、そのまま行ってしまった。

 そして、私は気がついたのである。私の手のひらには100円玉が握られたままだったことに・・・。

 

 私は緊張のあまりか、気が動転していたのか、女性がくれたバス代を支払わないまま、バスを降りてしまったのである。

 そういえば、運転手さんも何も言わなかった。

 私はただで100円をせしめたことになる。

 

 今も時々あのときの光景を思い出す。中年女性の静かな優しさを思い出す。

せっかくの100円を、バス代として払いもせずに降りていった私を、彼女はどう思ったのであろうか?

かましい、ずるい人間と思っただろうか? だまされたと思ったであろうか?

 

 彼女のピュアな親切心に対して、本当に申し訳なかったと思う。しかし、私は人からお金をいただくということにどぎまぎしてしまって、頭が真っ白になっていたのである。

 

 してもらった親切は、その相手には返せなくとも、また別の人にしてあげればいいと聞かされたことがある。しかし、あれ以来、幸か不幸か、小銭がなくて困っている人に会っていない。

本当のことを言うと、そのような状況に出くわしたとき、自分があの中年女性のように振舞えるかも疑問である。お金を差し出すということはなかなか勇気の要ることだから。

 あの女性が私にしてくれたことは、なかなかできることではないのだと、痛感している。

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