226)不便益(ふべんえき)システム研究科

  京都先端大学教授の川上浩司(ひろし)先生は、「不便益」システム研究科を立ち上げた。国からの科学研究費がもらえた。

「不便益」とは、「不便であることが益になる」「不便であるほうがいい」という考え方である。

 

 今の世の中、インターネットで本を注文すると、すぐ送られてくる。

しかし、本屋へ行くと、インターネットでの注文では得られない情報が得られる。

       

              

            

 

 川上先生は、「不便」だからこそ得られる益があると考えた。

以下は、川上先生以下、「不便益」システム研究科の皆さんのアイデア集である。

 

 今は地図がある。しかし、昔は迷い込んで、ああ、こんなところに〇〇があると、知らないものを発見したりした。

            

  たとえば、おやつ。昔子供のときは300円という制限があった。近所で自分で時間をかけて、ちょっきり300円の菓子を買った。制約のおかげで、その人の人となりが分かったりもする。

 

           

 

 高齢者施設はバリアフリーが重んじられるが、山口県デイケアセンターでは、健康のため、わざと長い廊下とか階段を設ける。

         

          

 

 軽自動車や複合機などを、1人で作り上げるシステムの工場がある。それによって、従業員のモチベーションを上げる。

 

           

 

 川上先生は、もともと便利な世の中にする研究をしていた。人工知能を作って、すべてコンピュータに仕事をやらせていた。助手の時代もAI(人工知能)をやっていた。

ところが、川上先生の師匠(教授)が「これからは不便益」をやると言った。

 川上先生は、生産工学の調査を手伝った。新しい役立て方を模索しようかなと思った。

 師匠は不便益研究を哲学としてやっていた。自分は工学的に、工学的にやろうと考えた。具体的なものとしてシステムに取り組んだ。

 

「不便」とは何か。コンピュータの検索を何百件と繰り返した。

 

 携帯を持たない。昔はそれで生きていた。しかし、自分が携帯を持たないことで、自分の同僚は「不便」を感じる。仕方なくスマフォを持った。本当は、スマフォを持ちたくない。

             

 今も鉛筆を使う。鉛筆削りは手間がかかる。しかし、書いた状況が分かる。筆圧とか、先が細くなったり太くなったり、その時の状況が残る。実は、そのことが六面体鉛筆(今の鉛筆)を作り出した。不便さが、発見の余地を与えてくれる。

             

 ゴミの分別なども、手間がかかることに意味があってほしい。ゴミを分別することに意味を持たせる。分別することによって、ゴミが燃料になる。それによって人の手間の価値が見える。

            

 京都を不便にしてやろうみたいなアイデアも学生から出た。

京都駅が便利すぎる。新幹線に乘るときに、パッと京都のお土産を買うのは便利すぎる。

          

 お土産は京都観光したという思い出とともにあるものだ。ということで、お土産を買うことをわざと不便にした。

 そのアイデアは、ある風呂敷を買うために本店まで足を運んだら、本店ではありとあらゆる風呂敷を揃えてくれるというものであった。

 本店を訪れるとともに、世界で唯一のお土産の組み合わせができる。足を運ぶという苦労があったからこそのお土産が得られる。

 しかも、お土産とともに、お土産話というものもできて、帰ったら、お土産とともにお土産話を渡すことができる。皆に配ることができる。

   

 

 京都の不便なツアーを考えようというアイデアもあった。

左折オンリーのツアー。右折を3回を繰り返すツアーなど。

そこに古いものがある。自分で京都を見つける。これがほんとの京都ツアーである。

 

            

 「便利」の何がよくないかというと、選択肢がなく、人に勝手にやらせてくれないことである。人間にとって、自分でやりたいことをやらせてくれない、発見させてくれないなどということ、それが良くない、

 

 社会性を持っている、弱いロボットを作っている先生がいる。その先生が作った「ゴミ箱ロボット」は、人との関わりを重んじる。人が近くに行ってうろうろしたり、ロボットにゴミを入れてやると、ニコっとする。お辞儀する。人が何か関係を持たないと、何もしない。

    

 

 次に来るものは? 

 人にやらせてくれる、人が主体的に何かができる、そんな「ロボット」が求められる。

 それは、本当の意味で人をサポートするもの、人の手が挟(はさ)まってなんぼとなるべきものである。