受援力(じゅえんりょく)って聞いたことがありますか?
国語辞書には、「被災時に支援・援助を受けること。」とある。「受」は「受ける」、「援」は「ひく」「たすける」の意味。これから判断すると、「受援」は「たすけをもらうこと」の意味になろう。
「受援力」とは、平たく言えば、「助けて」と言える力を指す。「援助」を「受ける」ことのできる「力」である。
「受援力」は、元々は防災時に導入された言葉のようで、内閣府の防災パンフレットでは、次のように言っている。
「このパンフレットでは、ボランティアを地域で受け入れる環境・知恵などのことを「受援力」(支援を受ける力)と言っています。」
心理学者の黒沢幸子氏は次のように問いかけている。
「親の多くが、子育てにおいて、『助けはなるべく求めず、自分で何とかしなければならない』と思っている傾向があります。『助けて』と言える力はなぜ必要なのか、どうしたら言えるようになるのでしょうか?」
子どもの時から「受援力」を育てるにはどうすればよいか。
人に頼りすぎるのではなく、甘えすぎるのではなく、適切に、上手に人に助けを求められる人間を育てるにはどうすればよいか。
公的な立場からの助言は次のようである。助言の内容も社会的な立場に重きを置いている。
(1)(子育てにおいて)家庭の中での何でも相談できる関係性作りをする。
親は子供のことをいったんすべて受け入れる。「相談してくれてありがとう」から始める。
次に、子どもが心身に傷を負っていないかを確認する。「大変だったね。つらい気持ちになっていない?」「そんなことがあったのなら、つらくなって当たり前だよ」と話しかける。
(2)申請主義を家庭の中に取り入れる
日本では公的な援助は「申請」することによって得られる。子供の時からお小遣いを用紙に書いて申請したり、請求書を自分からもらって、お手伝いや100点を取ったときの「ご褒美申請」をさせ、「申請」ということに慣れさせる。
(3)社会の中にある「助けを求められる場所」を教える。
「教育相談・心の相談」「学校のスクールカウンセリング」「子ども110番の家」など、最近では気軽に話を聞いてくれる機関や場所が地域にある。そこでは、各人のプライバシーを守り、寄り添ってくれる専門家がいる。一人ではないということを教える。
「受援力」は防災や震災の場で使われる表現のようだが、私はこれらの言葉をもっと気軽く、広く、日常的に使ってもいいのではないかと思う。
私達日本人は、小さい時から、「人に迷惑をかけない」「自分のことは自分でする」「人に甘えない」と言われて育った。よく言えば、「自己解決型」「責任感が強い」「自立心がある」が、半面、「人に相談することができない」「人に頼ることができない」「人に甘えることができない」というような、今の共生・共同の時代にはうまく処していけない側面を持っている。
国立大学惑星探査研究センターのAさんは、宇宙に浮かぶ塵(ちり)から宇宙の成り立ちを探る研究をしている。
彼女は輝かしいキャリアの持ち主であるが、キャリア面でも家庭面でも、世間の人と同じく、いくつかの問題に出くわすことがあった。
期限付きの研究職に付きものの職探し、出産、産休、子育てに伴う辞職、休職、そして、また、復職のための職探し、などなどである。
しかし、彼女は持ち前の明るさと積極性で、その都度、上司に相談したり、知り合いに尋ねたり、直接仕事先に出かけていったり、問い合わせたりと、心を開いて、自分の窮状を説明し、相談し、時にはお願いをし続けた。その量は半端なものではなかったという。
もちろん彼女の経歴・実績が素晴らしかったためであるが、それと同じくらいの比重で、彼女の「受援力」が彼女の目的達成に役立ってきたと言える。
「受援力」は人間にとって、能力の一つと言えるだろう。
そうなのだ。少々能力がなくても、慕ってくる教え子や後輩には、先輩たちは一肌脱いでやりたいと思う。求人情報があれば、彼や彼女にその情報を知らせたりチャンスを与えたいと思うはずだ。それが人情というものだ。
人に遠慮せず、素直に自分の窮状を語り、助けを求めることができれば、かなりの確率で、(もちろん状況にもよるが)助言をもらったり、情報を得たり、時には、具体的な仕事を紹介してもらえたりする。
つまり、「受援力」を持っているということは、生きる上でかなり重要なことであるのである。